映画についてのよけいな事

映画好き。でも何故か映画の感想より俳優や監督への感想ばかり

自分に似た人 『ラブレス』 

『ラブレス』のネタばれあります。

 

 

今凄く観たい映画があります。

『ラブレス』というロシア製のミニシアター作品です。

『ラブレス』 

(4/7~順次公開)

ã©ãã¬ã¹

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ(54歳)

脚本:オレグ・ネーギン

   アンドレイ・ズビャギンツェフ

 

 

あらすじ

一流企業で働くボリスと美容院を経営するイニヤの夫婦。二人はそれぞれ、別にパートナーがおり、一刻も早く別れて新しい人生をスタートさせたいと思っている。問題は12歳の一人息子アレクセイのことだ。夫婦どちらも、新しい生活に息子を必要としていなかった。ある晩、二人は激しく罵り合い、お互いに息子を押し付け合い口論をする。翌朝、学校に出かけた息子はそのまま行方不明に。彼らは必死で息子を探すがーー

 

 

  • 審査員賞

 外国語映画賞

セザール賞2018年43回
  • 外国映画賞

 出典:Filmarks

 

  

東京まで1万円出して行かないと観れないのですが、"シャッター商店街の中の寂れた電気屋"のような、このブログに書き込む為に1万円出す気にはなれないので、5/26からの地方公開を待ってます。でも、あらすじやレビューを読むとものすごく心に突き刺さりそうな作品なので、まだ観てないのに、先に、見たつもりレビューを書いてみます。

こんないい加減な事も平気でできるのは、失う物がないブロガーの便利なとこです。

 

失踪した息子アレクセイは死んだのか生きているのかどうかわからず捜索は打ちきり、この母親は別の人と再婚するが、幸せそうではなく、父親も別の女性と 再婚し、子どもが生まれるが、その子への愛情もなさそう、という救いのない終わりだそうで、まさに現代的な病を描いた作品という感じです。

この作品の中には、死んだ目でスマホをいじっている人々が象徴的に出てくるそうです。

又、この母親が、息子に一人で朝ごはんを食べさせている時も、喧嘩している最中でさえ、常にスマホを離さないそうです。

 

以前、どこかの公園だったかと思いますが、こんな光景を見ました。

ベンチに座る若いお母さんがスマホをいじっていると、男の子が駆け寄ってきて、

「ママー、逆上がりできたー!」

と嬉しそうに報告すると、お母さんはスマホから目を離さず、

「そう、じゃ、もっとやっといで」

と言って子どもを追い返してました。

多分、初めてできたんでしょう、逆上がりが。嬉しくて嬉しくて知らせに来た我が子にこれですよ。

私は暫く開いた口が塞がりませんでした。

出産後に子育ての楽しさを知り保育士の免許を取ったような、そういう私だから余計オーバーに感じるのかもしれませんが、これからの日本を悲観して暗い気持ちになってしまいました。

これって文明の発達は大きな公害を伴うという分かりやすい例ですよね。

昔だったら、お母さんやお父さんが、子どもを公園とか遊園地に連れていって、たとえ、「めんどくさいなあ、つまんないなあ」と思っても、スマホなんてなかったから仕方なく子どもの相手をしてたのに。

 

先日、我が県の最大シェアを 占める  新聞の紙面に、Googleの宣伝広告が大きく載ってました。

その部分を写真で撮って載せれば、一目瞭然で分かりやすいのですが、新聞の著作権てとても厳格なようなので、いつものように、ネットから引用の範囲で引っ張ってこれないため、説明しますと、

お年寄りなど、普段あまりネット検索をしない方々に、

[どこかいいお出かけスポットを探している時は、近所の人に聞く前に、Googleで検索してみよう]

と呼びかけている内容の広告です。

一見するとGoogleが便利な事を教えてくれてるようにみえますが、よく考えたら、

お年寄りなど、ただでさえ、社会との接点、交流が多くない方々に、更に交流を減らして、近所の人と会って、話をするより、自宅でスマホを見て過ごしましょう、と呼びかけてるのと同じだと思うのですが、

これって、今、国や自治体が高齢者福祉の分野で一生懸命すすめている、呆け防止、高齢者の孤独防止の為に、

「人と話しましょう、地域ともっと交流しましよう」

という方針と真反対だと思います。

でも、今の資本主義経済の繁栄の頂点に君臨するGoogle、そんな企業の方々にとっては、高齢者の福祉問題なんてどうでもいい事なんでしょうね。

 

ただ、私、この『ラブレス』の様な母親、自分の人生に自分の子どもが邪魔だと思ってしまう人間の気持ちも分かるんです。

私は、独身時代、純粋に、子どもが可愛いとか、欲しいと思った事はありませんでした。

ただ、結婚したら、娘を産んで、自分と母親の様な友達親子になり、買物や食事や旅行を一緒に楽しみ、娘の産んだ子(孫)を自分のやりたいように可愛がって、幸せな老後を送る計画は、はっきりたてていました。

 

私も、自分の幸せの為に、子どもを使おうとしていたのです。

その罰のように、第1子は男の子で、しかも、いっときもじっとしてない、1歳半検診の時に、保健師さんから、ADHDの疑いがある、と言われる程の大物だったので、体力的に毎日ヘトヘトで、娘が欲しいから二人目を、なんて考える余裕もなかったのですが、

そんな息子でも、1人では何もできない乳児の時から自分の時間を捧げて育てていくうちに、その苦労が更に子どもを可愛く大切に思わせてくれて、子育てが人生の張りになり、ちゃんと子どもを愛せる母親になれたわけです。

 

でも、もし、私が10代や20代前半で、色んな経験をしないで、母親になっていたら、そんな風に諦めがついて、親としての責任を持てたか…

 

私は享楽的な大学生活、刺激たっぷりのOL生活、海外生活、オートバイ、山登り、その他色々な経験をした後、年貢の納め時と思って結婚した為、母になってからは、「遊びたーい」という欲望で苦しむ事がありませんでしたが、もし私がまだ遊びたい若さで、思わぬ妊娠や、何かの目的の為に子どもを産んでしまったら、『ラブレス』の女主人公のように、大人にも、母親にもなりきれず子どもをいらないと思ったかもしれないです。

若くして母になって、自分の人生を犠牲にされたように感じても、それでも、子どもを愛し、幸せな親子関係をきづいている女性は大勢いるし、そういう方が殆どだと思いますが、私はそうなれなかったかも知れません 。

私も『ラブレス』の女性主人公と同様、自分優先の性格だからです。

自分の人生を自分の計画通りにしたくて、それを何かに邪魔される事に腹が立つ、エゴの塊なのです。

だから、欲しくてたまらなかった娘を持てなかった事を、他の普通の、息子だけのお母さん達のように、

「運なんだから仕方ないよ」

と、おおらかに諦めて、他人を妬まず、ひがまず、幸せに生きられないのです。

この作品のレビューを読むと、

[自分の幸せ優先に生きる人って、結局不幸になる]

というような感想が多いのですが、それは、自分にも当てはまり、まるで自分の事を言われてる気分です。

アレハンドロ・イリャニトウ監督(54歳)の

「人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ」

という言葉に感じるのと同じ、人生の真実な気がします。

今の私が本当の自分なのか……

淋しい老後を、でも、淋しさにも慣れて、運命をどっぷり受け入れて生きていくんだろうな。

努力すれば人生は思い通りになる、と信じて疑わなかった若い自分が懐かしい。

 

ささやかな幸せ

 

 

 

今月はほんの2回ですが、友人達に練り切りの作り方を教えさせてもらったおかげで、

教える為の練習や講習会の下準備で、週3日位つぶれてしまうし、友人達が花見やランチに誘ってくれたりで、楽しい事で忙しいという、ここ何年も縁のなかったリア充を経験してしまい、ブログを書かなきゃ、という気が薄れてしまいました。

もともと、たまにでいいから、自分の意見や批評に共感してくれる人、又は反対意見の人からコメントをもらいたい、映画について誰かと語りたいという目的でブログを始めたにもかかわらず、8カ月過ぎても、今だ誰からもコメントいただいてない、というどん底なブログ生活なので、書く意欲も低いわけです。

リアルな世界の方で自分が必要とされて幸せで忙しいなら、ブログを書く時間がなくて、閉じる事になっても仕方ないと思っているんですが、1カ月1記事という今月でさえ、アクセス数が400以上もあるのを知ると、潔くやめられません。いや、400アクセスなんて、ネット充なブロガーの方達からしたら、スズメの涙なんでしょうが、私のようなどん底ブロガーにとっては、「何故、400も?」と唖然としてしまう数字なのです。

(今回も期待はせずにいますが)この記事を覗いてくださった方でブログの事情に明るい方がいましたら、教えていただきたいのですが、こういう現象は別に変わった事じゃないんでしょうか?

 

という事で、最近、わざわざブログに載せる程の感想を書きたい映画を見てないので、(楽しみにしてたレッド・スパローも心に突き刺さる程の刺激も新しさも、俳優さん達の魅力も感じる事ができませんでした)

 

すごい良かった星野リゾート界川治』の感想を書きたいと思います。

何故良かったかというと普通のサラリーマン家庭でも無理な値段じゃなかったのです。

客室グレードアッププランというのを使って、とてもおしゃれな部屋を一泊2食付きで一人23000円です。        

あの超高級な、庶民には一カ月分の家賃より高いじゃん、という所もある星野リゾート

食事なしで、一番安い部屋が、一人、49500円~の『星のや京都 』

憧れの、でも、他の事を全て犠牲にしないと、行けない所。

f:id:konishitoya7:20180429105901p:plain

 

 

 

å¤è¦³ ææ©ï¼ãã¤ã³ï¼ã¡ã¾ãããï¼ããã«ï¼ï¼çºæã¯å¥æ ¼ãåºãã¨ãããé¨å±ãç¹å¾´ã®ç¹å¥å®¤

 

ここ程ではなくても、海外はもちろんの事、国内の”星野リゾート”と名のつく所は低価格帯グループに属する”界”というシリーズの温泉旅館でも、だいたい一泊2食、一人25000円以上する所が殆どですが、東北の方だけは安くなっていて、25000円もかからなくて、庶民でも泊まれる価格です。ただ私の住む静岡県からだと遠すぎて、一泊2日の小旅行だと行くだけで終わるので、せっかくの旅行が楽しくなくなる可能性大です。そんな、静岡県の庶民が楽しく無理なく泊まれる場所(浜名湖にもありますが、静岡県人で、わざわざ浜名湖を観光したい人は少ないと思います)が星野リゾート界川治です。

 

川治温泉は栃木県日光市にある、鬼怒川温泉郷より更に奥のひなびた温泉郷です。

その、多分、つぶれたか、つぶれそうになった旅館を星野グループが買い取ってリニューアルオープンしたと思われる『界 川治』

f:id:konishitoya7:20180429114322j:plain

 

その『野州麻紙の間』

  

 

f:id:konishitoya7:20180429114715j:plain

f:id:konishitoya7:20180429114534j:plain

こんな和紙の風情がオシャレな部屋です。

 

f:id:konishitoya7:20180429150929j:plain

館内のあちこちに、このご当地産の和紙のオブジェが。

又、川治の郷土民芸品があちらこちらに、お洒落に品よく飾られていて、雰囲気最高です。

f:id:konishitoya7:20180429114912j:plain

f:id:konishitoya7:20180429105109j:plain

f:id:konishitoya7:20180429114957j:plain

 

f:id:konishitoya7:20180429115032j:plain

f:id:konishitoya7:20180429115208j:plain

 

 

渓流に面したラウンジには、昼間も灯りがともっている可愛い瓢箪の電球がぶら下がっています。

 

f:id:konishitoya7:20180429115253j:plain

瓢箪型の電気スタンドもライブラリールームの各机にのってます。

f:id:konishitoya7:20180429115532j:plain

露天風呂にも瓢箪が。

f:id:konishitoya7:20180429154745j:plain

 

f:id:konishitoya7:20180429120830j:plain

この瓢箪型の電球、ほんとに可愛いですが、ラウンジにあるギャラリー風に商品を飾ってある土産屋さんコーナーで見たら1万円でした。

 

そういえば、このお土産屋さんコーナーについて、思う事がありました。

最近、温泉好きな友達の要望を聞いてとか、我が一族中、一人だけセレブの弟の好意で、結構高級感のあるホテルに泊まる経験をした時、私達が朝食の食事に行ってる間、又は部屋で朝食を食べる前に、中居さんが布団をしまいに来るので、

「何故、こんな早くにさっさとかたずけちゃうのかな?」とつぶやいたら、高級旅館に泊まり慣れている友人から「部屋から何か盗まれてないか、とか何か壊されてないかの確認も含めてやるんだよ」と言われました。友人の話が正しいかどうかは分かりませんが、確かに、普段自分達家族が国内で泊まるようなルートインとかアパホテルとかだと、経営者側も多少、消耗品以外に何か持ち帰られちゃったり、悪質な場合は、何か盗られてしまって、宿泊客が帰った後気がついても、まあ、仕方ないか……みたいな雰囲気があるように感じます。

そこで、この界川治のお土産屋さんコーナーのセキュリティについてですが、

朝早くラウンジにコーヒーマシンの無料のコーヒーを飲みに行ったら、(このコーヒーもカルディで買ってきた粉を家で一杯ずつ作って飲んでるのよりも美味しいのです)

レセプションにもどこにも、館内にはまだ、従業員さんが、いなくて、静かなライブラリーで一人、コーヒーを飲みながら、『日本の路地裏』という写真集を見て、山のホテルのリゾートを満喫していたら、おじいさんが、出てきて、「おはようございます」と声をかけてくれ、「ああ、この人が今日最初の出勤者なんだな…」と気がついたわけなんですが、お土産品て、郷土民芸の中から、上品で粋な物をピックアップしておいてあるだけあって、益子焼やブドウのつるの篭や蒔絵のお重など、何万円もするような物もあるのに、鍵のかかる場所じゃなく、こんなラウンジの一角に飾ってあって、夜中、邪悪な人がこれを盗みにきて、自分の旅行鞄に忍ばせて帰っちゃったら、どうするんだろうな……と思いました。

まあ、防犯カメラで監視してるんでしょうが、それでも、もし、本当に何か、高価な物が盗まれた場合、従業員達がその日に泊まった宿泊客全員の顔を全部把握しつくしてないと、防犯カメラの映像も役には立たないし、フードやマスク等で顔を覆った人が犯人だったら、顔を全部覚えてても、割り出せないだろうから、

「もし、高額商品が盗まれても、仕方ない」

みたいなリスクを背負って、こういうオシャレな販売方式をしてるんだろうな、と思いました。さすが、高級リゾートグループ、心意気が違う。ま、でも、高額なお土産品には保険がかけてあって、そういうお金が宿泊費の高さに反映されている可能性も大だし、中国人含め、外国人は一度も見かけなかったので、2万円前後のホテルに泊まる日本人ならそういう低品度な人もほとんどいなくて、できる事なんだろうな……と。

でも、それにしても、私達が泊まった時も、普通そうな家族連れがいっぱいいたし、

私達夫婦も、旅行鞄なんて持たず、Dパックしょって来ちゃうような高級な生活とは縁のない日本人です。でも、そういう庶民でも、「窃盗はすごーく悪い事」という倫理感をみんな持ってる気がして、誇らしく感じました。

横道にそれてしまいましたが、界川治がすごーく良かった理由の70%位が、

「郷土の旬の食材を使った遊び心のある日本会席」

という宣伝文句を裏切らない味とビジュアルの夕食でした。

庶民の私にとっては、今までで最高のBEST of BESTの会席でした。

 

f:id:konishitoya7:20180429134940j:plain

先付けも斬新です。

f:id:konishitoya7:20180429135227j:plain

桜餅がおすましになってました    

 

 

f:id:konishitoya7:20180429135645j:plain

八寸も綺麗かつ芸術的な薄味の美味しさです

 

とまあ、こういう芸術品的な品がデザートまで続きます。

会席料理って綺麗でも、生臭かったり、味が濃すぎたり、逆に薄すぎてがっかりしたりというのに遭遇する事も多いですが、この会席は私の味覚と視覚に100%合致してました。

欲を言えば、この会席の夕食を、酒飲みで、故に味の濃い物が好きで、男で、故に食べ物のビジュアルにはあまり興味がない旦那とではなく、私と味覚が同じな女友達と、きゃっきゃ言いながら、味わいたかったなー。

 

特に朝食についてくる鬼子蔵汁(右上の)

を食べた時の感動は女友達と分け合いたかったー!

大根、カボチャ、さつま芋、里芋、ゴボウ、人参、青菜、こんにゃく、等9種の野菜と椎茸、お餅、豚バラ肉、お揚げを野菜そのものの味を残して薄ーい透明の出汁で染み込むまで煮て、ごま油もさしてある栄養的にも、美味しさ的にも最高の一品。

旦那には美味しくなかったようです。

 

f:id:konishitoya7:20180429142207j:plain

 

 

あ、そんな事思っても、言っちゃいけませんね、46000円も出してくれて、静岡から、栃木まではるばる運転して連れていってくれた旦那さんに感謝です。

 

 ありがとうございました。

 

ちなみに、はるばる栃木まで行ったので、藤の花で全世界的に有名な足利フラワーパークにも行きました。

でも、界川治の滞在があまりに充実してたので、こっちの方はもう記憶も薄れています。花、結構好きなんですが…

 

写真撮影に重点を置いてないスマフォなので、独特の薄いピンクオレンジ色が綺麗にうつせませんでしたが、今回の旅のそこかしこで見た栃木県の県花ヤシオツツジアカヤシオ、ほんとに綺麗でした。

界川治の庭でも新緑の緑とお互い引きたて合ってました。

f:id:konishitoya7:20180429145556j:plain

 

界川治、泊まるホテルで高級感やおしゃれさを味わいたい、薄味、綺麗な食べ物が好き、という関東、東海地域の方にはほんとにおすすめです。

従業員の方々も、さすが星野リゾートというレベルの丁寧な接客をしてくれますし、若者が多いんですが、その方達が地元、川治を愛してる、という感じが溢れてて気持ちいいです。

 

今回は映画に関する話ではなくて、もしも、このブログを映画についての話と思って覗いて下さった方、ごめんなさい。

『マスター』と『フランス特殊部隊RAID』 俳優達の魅力を楽しむ

 

ストーリーやテーマは目新しくはなく、観る動機にはならないですが、演じてる俳優さん達の魅力で、2時間(又はそれ以上)たっぷり楽しめる作品を観ました。

 

『マスター』

 (2017年日本公開)

監督、脚本:チョ・ウイソク(42歳) 

あらすじ

投資会社のチン会長(イ・ビョンホン)は、その綿密な計画性と天性の口のうまさを駆使し、韓国最大規模のネットワークビジネスで多額の資金を市民から巻き上げる。やがて会社は倒産、チン会長は金と共に海外へ逃亡する。警察の知能犯罪捜査班のキム(カン・ドンウォン)は、優れた知性を武器に彼を逮捕すべくチームを編成。チンの部下だったITの天才パク(キム・ウビン)を仲間に引き入れ、チンの足取りをたどっていく。だが突…

出典:Filmarks
 

 

MASTER ãã¹ã¿ã¼

 

カン・ドンウォン(37歳)とイ・ビョンホン(47歳)は

私が最も好きな容姿の韓国男優と最も嫌いな容姿の韓国男優です。

デュエリスト(2006年日本公開、監督:イ・ミョンセ、脚本:イ・ミョンセ、イ・ヘギョン)を観た時、「現世にこんな美しい男がいるのか…」と驚愕しました。 

  
 

 

  

 

 

 デュエリスト、作品自体は韓国内でも興収面で大惨敗、ストーリーも穴だらけで、映画ではなく、カン・ドンウォンを見せるPVだ、と酷評されてますが、美しい男が好きな女性にとっては、ため息の連続の、これも又俳優の魅力を存分に楽しめる作品でした。

 

コスプレしてるから、二倍増しで綺麗に見えるんじゃないか、と思われるかもしれないので、コスプレなしの顔も。

 

 

 ã«ã³ã»ãã³ã¦ã©ã³ã®ãããªã¼ã¹ã æªé­ãè¬ãèãã®ç»å

 

 

そして、日本では、中年以上の女性10人に聞いたら、多分、8人は知ってるだろう、人気、知名度NO.1の韓国男優イ・ビョンホンさん。ですが、私はみんな何故こんな猿みたいな下品な顔にキャーキャー言うのか、理解できません。ただ、あんなに美しいドンウォン君が日本では全然知名度がなく、あのさる男があんな絶大な人気があるという事は、容姿の好みって人によって千差万別なんだなぁとつくづく納得させられます。

故に、私が、圧倒的多数のさる男のファンの気持ちが理解できないのも自然の摂理という事で、もし、ビョンホンファンの方が読んでくださっていたら、まるでけんかを売ってるかのような私の言葉を許してください。 ただ、この『マスター』を観て、私、やっとイ・ビョンホンさんの凄さが分かりました。何か、『マグニフィセントセブン』(2017年日本公開)の時よりハンサムになってるし、カリスマぎらぎらで、オーラも大放出してる天才詐欺師役がぴったりでした。のり移ったかのように。

 

ドンウォン君も、今までは、悪の化身みたいな悪役か、哀愁漂う中性的な美青年役(といっても、もう37歳のおじさんですが)が一番似合う、というのが、ファンの間での定説でしたが、10キロ太って演じた、この作品の硬派で男らしいキム刑事役がとても似合っていて、イメージを決めつけてしまっていた自分のおろかさを実感しました。

そして、もう一人の主役、キム・ウビン(28歳、現在、鼻咽頭癌で闘病中)。ビョンホンさん演じる詐欺師のチン会長の部下で、天才ハッカーのパク・ジャングン役。

 

ãMASTERï¼ãã¹ã¿ã¼ãæ°å ´é¢åç

 

この人の韓国アイドルぽくて、癖のある顔が、最初は好みじゃないなあ、と観てたんですが、途中から、ジャングンという人間のチャラ男な見かけに反する人の好さとか、完全な悪(チン会長)と完全な正(キム刑事)の間で揺れ動く普通の人間としての人間臭さが、この作品の魅力を倍増させている事に気づいて、楽しませてもらいました。

他にも、名バイプレイヤー、オ・ダルス(49歳)や年を取って美しいだけでなく、ふり幅の広い女優さんになったオム・ジウォン(40歳)にも楽しませてもらえて、この韓国製クライムアクションムービー、俳優さん達を見るだけで、もう充分に満足できる映画でした。

が……

内容もアクションも、さすが、韓国ノワールの国が作る映画、どこかの国が作るようなスカスカなクライムアクション映画は作りません。ちゃんと頭と技術とお金を使った、中味の濃いエンターテイメント作品に仕上がってます。

 

この先は『マスター』の部分的ネタばれがあります。

 

 

 

 

 

キム刑事に罪の減刑を提示され、チン会長を捕まえる手先になる一方で、昔からの仲間に誘われて会長の巨額の財産をネコババしてとんずらするつもりかも?と思わせたり、風見鶏のようにどっちを向くか分からない、味方なのか、裏切るつもりなのか、本心が分からないパク・ジャングンの事をチン会長が

「お前は両面テープのような奴だ、あっちにくっつき、こっちにくっつき」

と、苦々しく語るシーンがあり、上手いなぁ……と唸ってしまった。

こんなお洒落なセリフは日本のアクション映画じゃ、『あぶない刑事』シリーズの中しか聞けないんじゃないだろうか、映画製作の才能に関しては、日本は韓国の足元にも及ばない気がします。 

 

『フランス特殊部隊RAID 

(日本未公開、 2017年フランス国内の国産映画興収NO.1)

監督:ダニー・ブーン

脚本:ダニー・ブーン

   サラ・カミンスキー

主演:アリス・ポル 

 

 Die Super-Copsï¼Raid dingueï¼

 

 

ストーリー

内務大臣ジャック・パスクアリの一人娘で警察官のジョアナは、幼い時に母を亡くしてから、RAIDに入隊することだけを夢見て日々身体を鍛えているのだが、おっちょこちょいな性格で、そもそも警察官としての素養にも欠けるため、入隊試験に何度も落ち続けている。それでも決して諦めようとしない彼女を心配した父ジャックと婚約者のエドワードはジョアナにRAIDの厳しい訓練を受けさせれば現実を知って諦めると考え、ジャックはRAIDのトップであるルグランに圧力をかけて入隊試験に合格させる。ルグランもベテラン隊員でジョアナの指導担当となったウジェーヌも、ジョアナはすぐに音を上げると思っていたが、夢が叶ったジョアナは想像以上の頑張りを見せただけでなく、実際に成果をあげ、周囲から認められるようになる。そんなジョアナに耐えきれなくなったエドワードはジョアナにこれまでの思いを吐き出して別れを告げると、ジョアナはエドワードの本心を知ったことで吹っ切れた気持ちで別れを受け入れる。そして、ふとしたことからジョアナはウジェーヌと深い仲になる。

一方、セルビアのテログループ「レオパール」のリーダーであるヴィクトールと、そうとは知らずに知り合いになったジョアナは、会話の中でRAIDの作戦に関する情報を漏らしてしまっていた。ふとしたことから、ようやくその事実を知ったジョアナはレオパールが各国首脳が集まっている会議を狙っていることに気づき、ルグランの命令を無視して、会議が行われている古城にかけつける。しかし、父ジャックを含め、誰もジョアナの言うことに耳を貸そうとしないため、ジョアナはジャックを人質にとって無理やり首脳らを退出させる。しばらくしてレオパールによる攻撃で古城が倒壊する事態となったことで、ジョアナの判断が正しかったことが証明される。そして、攻撃の成果を確かめにやってきたヴィクトールらとジョアナの間で銃撃戦となり、さらにそこにウジェーヌらが駆けつけたことで、最終的に事件は解決、ジョアナは大統領から表彰を受けることになる。しかし、ジョアナのおっちょこちょいは治らない。

出典:ウィキペディア

 

本来なら、頭脳明晰で何でも完璧でなければならない特殊部隊の隊員が、凄いドジで、不器用で、という設定のコメディ映画、どこかで似たようなのを見た気がして(『裸の銃を持つ男』シリーズかな?)膝を打つほどの斬新なアイデアとは感じませんが、この作品の売りはアイデアだけではなくむしろ、ヒロインの魅力だと思います。

以前、NHKの大河ファンタジー精霊の守り人(2016年~2017年)で女用心棒役を演じていた綾瀬はるかさん(33歳)、全身を日焼けして見えるように肌を茶色く塗って逞しい女戦士に見せてましたが、体格は華奢なままのいつもの綾瀬さんなので、女性の匂いは、充分残っていました。

ハリウッドでも、アクション映画のヒロイン達は、シャーリーズ・セロン(42歳)も、ガル・ガドット(32歳)も、昔のアンジョリーナ・ジョリー(42歳)、サンドラ・ブロック(53歳)もどんなに男前でも、女の色気はしっかり漂わせていて、それが、魅力でもあり、リアリティの欠如でもあったと思います。

この作品の新しくてリアルなところは(と私が思う)ヒロイン役のアリス・ポル(無名の新人なのか分かりませんが、ウィキにもプロフィールがまだ載ってません)、色気が全くないのです。かなりの美人でもあり、太陽のような明るい笑顔が、人の心をわしづかみしちゃう”愛される顔”なんです。

でも、役柄を反映した大柄で武骨なボディと、正義感あふれ、誰にでも誠実で裏表なく大らかさにあふれた態度が、女性を全く感じさせないのです。

その女性の匂いゼロな所が、今までのアクション映画やアクションコメディのヒロインになかった爽やかな魅力を発散していて、同性から見てとっても好感度大なヒロインです。

とにかく、この女優さん、いいです。同性として大好きになっちゃいます。

又、彼女をとりまく隊員の同僚、上司(を演じてる俳優さんが監督、脚本をやってます)その上司、父親、フィアンセ、敵もまた、一癖あって退屈しません。4月中に、又、WOWOWで再放送すると思うので、加入されてる方は是非、ご覧になってください。損はしないと思います。

WOWOWと言えば、4/12から二か国語で、4/16からは字幕で、待ちに待った

シェイムレス』7

放映開始です。

 

このドラマも、他では絶対観られない、お説教色ゼロの人間賛歌米国ドラマです。既存の日本のドラマ、海外ドラマに魅力を感じなくなってる方 でWOWOWを観れる方は是非、一度お試しを。

 

B級映画から教わる人生

闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

ヘルボーイ

 ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー

のネタばれをしてます。

 

 

私はB級アクション映画とか、一見、感動の「か」の字もないようなバイオレンス映画を観て、人間についてとか、人生について教えられたような気持ちになる事がよくあります。

人々がただ、「面白ければいいの」と思って、それ以外何も期待して観ないような作品の中で語られる人生についてのメッセージが感動的だった3作品について書きたいと思います。

 

闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

 

f:id:konishitoya7:20180317195523j:plain

2016年公開

監督:山口雅俊(57歳)

脚本:福間正浩

   山口雅俊

 

あらすじ

ウシジマの闇金会社「カウカウファイナンス」に、ある日ウシジマの中学の同級生の竹本優希が現れ、借金を申し込む。「友達としてなら金は貸さない」とウシジマに言われ、カウカウファイナンスでの借金を断念した竹本は路上に座り込んでる所を、暴力と恐怖で貧困者を縛り、貧困ビジネスを営む鯖戸3兄弟の一人にスカウトされ、丸め込まれて、そこで社員として働く為に社員用施設に入る。そこで、他の人生の転落者達と共に収容所生活のような厳しい生活環境での労働を課せられるが、善良で美しい心根を持った竹本は、劣悪で弱肉強食な環境下にあっても、人間らしい優しさや思いやりをなくさない。ウシジマにとっても、竹本は唯一、暴力と無縁の善人の友達だった。中学時代、転校してきたウシジマをクラスのボスだった柄崎(今はウシジマの部下)に命令されてクラス全員がリンチした時も、竹本はそれに加わらず、後で柄崎に制裁されたのだった。 

欲に支配され、金に群がる人間達。鯖戸3兄弟、ウシジマのライバル闇金屋の犀原茜、債務者を利用して汚い金儲けをする弁護士、そして、闇金「カウカウファイナンス」のメンバー達の、金をめぐっての壮絶な抗争。竹本は、その隙をついてウシジマの金、5千万を横取りし、鯖戸兄弟に働かされていた仲間達で山分けして人生をやり直す資金にしようとするが、仲間に裏切られ、その5千万を持ち逃げされて、ウシジマからその5千万の代償に、時給5万円で、ほとんどの人が1年未満で廃人になってしまう仕事をして返すように要求され、受け入れる。ウシジマは竹本を許したくなりながらも、最後は非情な闇金屋の立場を捨てず、竹本を”死の仕事”に送り出し、話は終結する。 

 

 

ヤクザや闇金界の恐ろしさや人間の欲の醜さをはんぱないリアリティで描ききる『闇金ウシジマくん』シリーズ。そのファイナルの本作では、初めて、その醜い部分だけでなく、人間の善意と金の欲に屈しない美しい心を徹底的に対立させて描いてます。

竹本は優しくて弱いだけの男ではありません。少しの金銭的余裕があれば人は変われる、と仲間が再出発できるようにウシジマの5千万を盗み、ウシジマに言います。

「ウシジマ君、強欲は罪だ、この5千万があれば、20人の人間が立ち直れる。融資してくれないか、必ず返すから」

と。勿論、ウシジマは金の事で温情をかけるような方針転換はしません。そのうち、仲間が自分を裏切り、ウシジマの金を盗んだ責任を自分一人が背負う事になったのを確信した後、それでも竹本は微笑みます。

そして、ラストで”死の仕事”に向かうバスに乗り込む前にも又、ウシジマに言います。

「僕と君たちは人間の善意について賭けをしたんだよ、今は負けたけど、ほんとに負けたとは思ってない。僕は死なない、廃人にもならない、1年後か10年後か、戻ってくる。その時の僕を見せにくる。未来の君たちの生き方を見に来る」

出典:映画闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

 

ウシジマは決して酷悪非道な生き方をしてるわけではありません。職業こそ闇金という違法な仕事ですが、それで食っていくために、金を借りに来た人に、10日で5割の利息だという事を告知して金を貸し、貸した金額と利息をきっちり回収しているだけです。むしろ、欲や自己優先が当たり前の現代の人間社会の中では、まるでイエス・キリストがのり移ったかのように、自己犠牲をして善意の種をまき続ける竹本の方がずっと不自然な存在に感じます。どんな目にあっても善意の種をまき続ける竹本に、ウシジマは竹本の生き方の方が正しいのではないか、と疑い始めます。ラストは自分の生き方、自分の価値観に揺らぐウシジマの横顔の長写しで終わりますが、この表情がすごくいいです。ウシジマくんを演じてる時の山田孝之さん(34歳)は冷徹さを表現する為でしょうか、TVドラマのシリーズの時から、ずっと、常に無表情に徹してますが、このラストでは人間らしい苦悩や哀しみを堰をきってほとばしらせています。

ジョージアコーヒーのCMで、ある時は庶民的で暖かな笑顔の働くおじさん、ある時はコミカルなスパイと、いろんなキャラクターを上手く演じ分けているあの演技力。そして、このラスト……ほんとにこの人上手い。

 

 

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

  Vol.2

f:id:konishitoya7:20180318071042j:plain

  

 2017年日本公開

監督:ジェームズ・ガン(51歳)

脚本:ジェームズ・ガン

 

あらすじ

 

前作でロナンを倒し宇宙に名前が知れ渡った『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、ピーター・クイル、ガモーラ、ドラックス、ロケット、ベビー・グルートの5人はソヴリン人、アイーシャの依頼で彼らが重宝しているアニュラクス・バッテリー関連の施設を宇宙怪獣アビリスクから守る仕事を行う。見事にアビリスクを倒したクイル一行は報酬として前作において行方をくらましていたガモーラの妹であるネビュラの身柄を受け取る。クイルらはバッテリーを狙ってソヴリン人に捕縛されていたネビュラを惑星ザンダーに移して懸けられている報奨金を手に入れる算段だった。ソヴリンの惑星から宇宙船ミラノに乗って去ろうとするクイル達だったが、ロケットがバッテリーの盗みを行っていたことが発覚しソヴリン人の艦隊が襲い掛かる。ミラノは大破し、絶体絶命に追い込まれるクイル達だったがそこを小型の宇宙船に助けられる。

ミラノをなんとか別の惑星に不時着させたクイル達の前に降りた小型の宇宙船から現れたのはクイルの父を名乗るエゴという男とその世話係のマンティスだった。エゴは天界人という神に近い人物であり、数百万年という時を重ねて自身を惑星に進化させ、他の生命体を探すために人間の形態である分身を作って地球を含めた様々な惑星を旅していたという。当初はエゴの言葉を信用しきれなかったクイルだったがとにかくエゴ自身という彼の惑星にガモーラ、ドラックスと共に向かい、そこでクイルは天界人の能力の片りんを見せエゴが自分の父親であることを確信する。

一方、不時着したミラノの修理のために残されていたロケット一行の元にアイーシャからの依頼を受けて襲撃にきたヨンドゥ・ウドンタ率いるラヴェジャーズ一味が現れロケットは防戦するが拘束される。ところがそこでラヴェジャーズのテイザーフェイス率いる一派がヨンドゥらに反旗を翻す。彼らはラヴェジャーズの裏切者であるクイルに対するヨンドゥの甘い扱いに不満を持っていたのだ。膠着状態になったラヴェジャーズ一行だったがにベビー・グルートを唆して拘束を解いていたネビュラがヨンドゥを銃撃。自慢の矢のコントロール装置を破壊されたヨンドゥが敗北したことでラヴェジャーズはテイザーフェイス派の物になってしまう。ネビュラはヨンドゥを倒した礼として宇宙船を1隻受け取るとガモーラへの復讐のためにエゴの惑星に単身向かう。テイザーフェイスはヨンドゥ派のラヴェジャーズの一部のメンバーを抹殺すると拘束したヨンドゥとロケットを引き渡して懸賞金を得ようとするが、残っていたヨンドゥ派のクラグリンとベビー・グルートによってヨンドゥとロケットは脱出。ヨンドゥは試作の矢のコントロール装置を新たに取り付け、ロケット達と協力してテイザーフェイス派を粛清するとエゴの本性を知っていた彼はエゴの惑星に向かう。

 出典:ウイキペディア

 

評論家きどりで生意気な事を言わせてもらえるなら、『GotG』ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)は映画としては2作目より1作目の方が面白いです。

でも、2作目には映画としてのできなんか、すっとばしてくれるジェームズ・ガン監督の”温かい心”がぎゅうぎゅうにつまっているのです。

この作品のラストで、スター・ロードの育ての親ヨンドゥは”息子”の命を助ける為に死にます。

同じ親としてこのヨンドゥの気持ちは100%共感できます。同じ状況に自分が置かれたら、怖いけど、辛いけど、同じ事をしたい。できるような親でいたいです。

そして血のつながりなんて関係ないです。子どもの時から自分の人生の多くを犠牲にして育ててきた子、大切じゃないわけないです。

子どもがいないジェームズ・ガン監督がそれを分かってる事が不思議ですが、義理の親子関係についてだけではなく、普遍的なメッセージとして、この血のつながりより濃い心のつながり(他人同士のガーディアンズメンバーの絆も含めて)というのが、本作でジェームズ・ガン監督が言いたかった事だと言われてます。

ガーディアンズのメンバーは、みんな、辛い壮絶な過去を抱えています。1作目では、グルートとスター・ロード以外は、みな人の事は信用しない、人助けや人を信頼するなんてとんでもない、と思ってます。私はマーベルコミックスを読んだ事もないので、グルートについてはどんな境遇で育ったのか分かりません。(映画の中で言われていた高貴な血筋という事しか)でも、スター・ロードについてはこの映画のキャラクターとして知るかぎり、8歳で孤児になり、宇宙に誘拐された。そして荒くれ者の海賊達の中で泥棒に加担させられながら育ち、普通にチンピラになった、と理解してます。でも、不良で、女たらしで、いい加減なチャラ男だけど、心はとても優しいのです。1作目では、宇宙空間にシールドなしで放りだされてほっておくと死んでしまうガモーラを助ける為に、2作目でヨンドゥがやったのと同じように、自分のシールドをはずし、ガモーラにつけてあげます。すぐにヨンドゥの宇宙船が自分とガモーラを回収しに来る事を予測しての行為ですが、人間不信の他のガーディアンズはもとより、この作品中の、宇宙で自分の命を守るために汗水流している他の登場人物達にはやれない自己犠牲です。又、ロナンが滅ぼそうとしているザンダー星の人々を助ける為に、わざわざ、勝率 12%の戦いに身を投じていくお人よしです。

私は、スター・ロードのこの善良さは義理の父ヨンドゥに心から愛され、可愛がられてきた”育てられた環境”が生んだものだと思います。(ただ、「食べちゃうぞ」みたいな子どもにとっては怖いだけの下手な冗談を聞かされて育ったので、愛されているという実感は薄い)

スター・ロードは他のガーディアンズのメンバーに比べたら、とても幸せだったのです。自分のために命を捨ててくれる人に育ててもらったのだから。

『GotG』Vol.2のラストでスター・ロードはやっとその事に気がつきます。

「自分はずっと、自分の本当の父親を、それが理想のカッコイイ父親であることを追い求めてきた。でも、本当の、そして理想の”クール”な父親はずっと自分の近くにいたヨンドゥだったんだ」

と。

「探しているものは近くにあるのだ」

と。

 

 

ヘルボーイ』 

 

「ヘルボーイ」の画像検索結果

 

2004年日本公開

監督:ギレルミ・デル・トロ

          (53歳)

脚本:ギレルモ・デル・トロ

原作:マイク・ミニョーラ

          (57歳)

クリーチャーデザイン:マイク・ミニョーラ

 

あらすじ

1944年、第二次世界大戦における敗色が濃厚であった旧ドイツ軍は、形勢逆転のため「ラグナロク計画」を実行に移そうとしていた。しかしブルーム教授を含むアメリカ軍がこれを阻止、計画の中心人物であったラスプーチン魔界への入り口に吸い込まれていった。だが、長時間に渡って魔界への入り口を開けていた結果、地上に悪魔の赤ん坊が迷い込む。ブルームは全身が真っ赤なこの赤ん坊を“ヘルボーイ”と名付け、育てる事を決意する。

時は流れ60年後、ヘルボーイは超常現象調査防衛局(BRPD)のエージェントとして超自然的な存在と戦い続けていた。 ある日、博物館に強力な悪魔サマエルが出現。ヘルボーイは苦戦を強いられるもこれを撃退した。 その直後、ブルームは半魚人であるエイブ・サピエンが持つサイコメトリー能力により、ラスプーチンが復活した事を知る。ヘルボーイは事件を調べるうち、自身の出生の秘密と、巨大な右腕の意味を知る。

出典:ウイキペディア 

 

正統派アクション映画や正統派ヒーロー物に興味がない私は、お恥ずかしい話ですが、ずっと、ヘルボーイは主人公が、とてもいかつい男というだけの映画だと勘違いしてました。ゆえに食わず嫌いしていて、最近、初めてこの作品を観て、

「うわっ、これ、すごい好みだわ」

と、べた惚れしてしまいました。

主人公が、分かりやすい善人じゃないとか、ヒーロー映画のヒーローが全然ヒーローぽくない、とかってのに本当に弱いです。

『GotG』

にはまったのも、主役のスター・ロードが頼りなくて、いいかげんで、ガーディアンズのリーダーにはとうてい適してないようなチャラ男だから、という所から入っていて、

”普通じゃない”っていうのにキュンキュンしてしまう生癖の持ち主には、正統派超人物の『XーMEN』よりも、ずーっとこっちの超人達の方が魅力的です。

赤鬼のヘルボーイととってもキュートな半魚人エイブの組み合わせも最高のビジュアルなのに、二人が戦う敵側のいろんなビジュアルの怪獣、半人半怪物達の造形美を見ているだけで、豪華な映画を堪能しているという満腹感でいっぱいになります。

続編のヘルボーイ/ゴールデン・アーミー(2009年日本公開)では、更にその造形美や特殊メイク、VFXに磨きがかかっていて、本当に、これ、10年も前の作品なの?と信じられない位凝ってます。

 

 

 

とか

f:id:itotto:20090110135435j:image

 

とか

「ヘルボーイ2」の画像検索結果

とか

 

 石の大きな巨人は「アルゴ探検隊の大冒険」に出てくる青銅の巨人タロスへのオマージュ

とか 

 

映画で怪獣たちのデザイン、背景までも担当したという原作者のマイク・ミニョーラ氏の才能に脱帽です。

ただ、そういう造形美にこだわるデル・トロ監督の凝り性がわざわいして、ヘルボーイ3作目は、膨大な製作費にNGがでた為、制作がおじゃんになったそうです。そして、デル・トロ監督やこの赤鬼のロン・パールマン(67歳)抜きで、別の筋の方で、ヘルボーイがリブートされ、来年公開予定だそうです。

最近はやりのCGだらけのスタイリッシュすぎる映画になっちゃったら、つまんなそうだな、と思いますが。

 

ついついヘルボーイの造形美の話になっちゃいますが、今回大事なのは、

この造形美の凄さだけで終わっちゃいそうなこの作品にも、個人的な感動ポイントがあった事でした。

ヘルボーイのラストで語られるセリフ

「人格や個性は何で決まる?出生や育った環境なのか?いや、何を選択するかで決まるんだ。出生や環境でなく後の人生をどう生きるかで」

出典:映画ヘルボーイ

地獄からきた悪魔の子、ヘルボーイは元の運命に従って、人間を滅ぼして、この世を地獄に変えるのではなく、人間世界で、人間を悪魔の脅威から守り、人間らしく生きていく方を選んだ。運命に従わず逆の生き方を選んだ。

人はどんな人生も自分の意志で選び、変えていけるのだ。 

 

 

 

『シェイプ・オブ・ウォーター』レビューから感じた男女の違い

シェイプ・オブ・ウォーター』のネタばれしてます。

 

「シェイプ・オブ・ウォーター 写真」の画像検索結果

出典:シネマトゥデイ

 

前記事を書いてる時に、早く仕上げてUPしなきゃ、と他の方によるシェイプ・オブ・ウォーターの感想を一切読まなかったのですが、記事のUP後、やっと、他の方のレビューをたくさん読む事ができました。賛否両論がある事はもとより、男性と女性で、この作品に対する感想が、真反対な傾向があるのでは?と感じました。

この作品を、「エログロ、気持ち悪い」とか、「あんな怪物に惚れるヒロインに感情移入できない」と書いている方々で、女性の場合は、作品選びの好みが、[醜い物、汚い物、リアル過ぎる物は見せない]方針のディズニー映画やハリウッドの正統的な大作映画、ヨーロッパの映像重視の美しい作品等が好きなんだろうな、と推測されるのですが、男性の場合は、普段、暴力描写や残酷なシーンの多いアクション映画を楽しんで観ていても、何故か、「この映画のグロさは耐えられない」「グロとロマンスが同居してるのが気持ち悪い」という感じ方をしてるように思います。

そのような感想を持つ男性の考え方を代表しているような表現だなと思ったのが、ブログ成功者(19万PVもあるそうです)の大学生の男性が「映画ブログ マイペースナイト」で書いているこの文章です。

 

 

さすがにオナニーが日課で、男性とまともな恋愛をしたことがなくても、何も怪物と生行為に及ぶのはないだろと。

こればかりは理解不能で、本作にときめく女性の心理が理解できません。 

出典:マイペースナイト

[ネタバレ感想]

シェイプ・オブ・ウォーター

ただただ気持ち悪いだけのファンタジー映画 

 

 

うーん……

この文章を読むと、イライザが、まるで、セックスや恋愛に飢えてたから、怪物と性行為に及んでしまったのだと軽蔑してるようにとれます。

当たり前ですが、女に男の気持ちが分からないように、男にも女の考え方って全然分からないんですね。

 

米国 のコメディドラマを観てると、時々、主人公やその女友達が、バックの中にバイブレーターを入れてるシーンがあるし、調べたら、米国のほとんどの独身女性がバイブレーターを持ってるそうです。

だから、米国の独身女性はみんなイライザと同じような事をしてるわけです。

上記の文章を書いたブロガーの方や同じようにイライザを「欲求不満の可哀想なおばさん」みたいなニュアンスで書いている方々はその事を知っててそう思うんでしょうか?だとしたら、米国の普通の独身女性はみんな可哀想だと思うんでしょうね。

私は、デル・トロ監督は性欲も当たり前にある米国の等身大の女性を描きたかったんじゃないかと思います。

ディズニーアニメの中のプリンセスや日本のアニメの美少女のような二次元の絵の中にいる女性ではなく。

そして、米国人女性として普通なイライザが半魚人と性行為に及んだのは、彼の事が本当に好きだからでしょう。何故そんなに彼の事が好きか、彼の中に直観的な共感とか、もう一人の自分を見てるように思うからでしょう。

女にとって大切なのは外見よりも中味なのです。

そして、同じ価値観を共有してくれてるか、なのです。

だから、ピアノ・レッスン(1994年日本公開 第66回アカデミー賞、作品賞、脚本賞、主演女優賞助演女優賞受賞)のヒロイン、エイダは、お金持ちで名士だけど、エイダがピアノを大事にする気持ちを分かろうとしない旦那を嫌い、ピアノを弾く自分を愛してくれる(原住民のような見るからに卑しそうな)男と恋仲になるのです。

 

f:id:konishitoya7:20180311164339p:plain

 

(以下は私が、一般的な傾向と推測してる事で、勿論、女性全員、男性全員がその通りだとは思ってません)

女性は外見だけでなく中味も本当にいい男がいたら、勿論、一番先にその男を選びますが、もし、外見はいいけど性格は悪い男と、外見は悪いけど性格はめちゃくちゃ良くて、自分と価値観が同じな男がいたら、半分以上の女性が後者を選ぶでしょう。

一方、男性は基本的にコミュニケーションしたり、共感しあう事を重視してないから、相手が、ただ見ていて綺麗ならそれで満足なんじゃないでしょうか?

だから、半魚人とイライザのラブシーンを見る時、男性はビジュアルだけ見て、気持ち悪いで終わっちゃう、又は、AVを観るような気持ちになってしまう為、ビジュアルが良くないと、気分が萎えちゃうのかもしれませんが(自分が女なので、全く推測です。間違ってたら申し訳ありません)、女性の場合は、画面に映っている姿よりも、「イライザ、良かったねー!自分のかたわれのような人と出会えて、その人と結ばれて」と、イライザの気持ちを考える事に集中してるから、ときめくのです。

 

ハリウッドの映画って、政治的主張を含まない大作映画や娯楽映画とは別に”ポリティカル・コレクトネス”な映画というジャンルがあります。こんなに民主主義が普及している現代でも、女性の地位の低さ、とか、マイノリティ、障がい者LGBT等に対する差別、偏見は一向になくならない。それにたいする批判や抗議を含む作品は略してポリコレと言われます。

※political correctness

 ポリティカル・コレクトネスpolitical correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業性別文化人種民族宗教障害者年齢婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す[1][2][3]

 出典:ウイキペディア

このシェイプ・オブ・ウォーターもポリコレ、ポリコレと連呼されてます。

うちの57歳の旦那は、表面的には、特に生真面目でも凄い保守的でもない、何事もほどほどな普通のおじさんなので、LGBTの事どう思ってるのか興味がわき、聞いてみました。

私「もし、ゲイの人が身近にいたら、気持ち悪いとおもう?」

旦那「うん、やだね、そばにいてほしくない」

私「自分に何の被害がなくても?」

旦那「だって、気持ち悪いじゃん」

念の為、聞いてみました。

私「ゲイとニューハーフの違いって分かる?」

旦那「えっ、同じじゃないの?」

絶句してしまいました。

私はもし、会社の同僚が、ご近所さんが、サークル等の友人が、更に、息子がゲイだったとしても、全く気にならないです。変な話、息子がニューハーフになっちゃっても、それで自立して幸せに生きていけるなら何の文句もありません。むしろ、ゲイやニューハーフの方々の方が女性的な会話を一緒に楽しめる気がするので、ウエルカムです。

そんな私もリベラルすぎると思いますが、うちの旦那も今どき、古すぎないか、と思います。いや、ゲイとニューハーフの違いも分からなかった事は、古いというより、教養がなさすぎる、です。

旦那以外にも、私が目撃している、又は、また聞きした日本の普通のおじさん達に関しては、どうも、マイノリティや弱者とされる人々に対する偏見や不寛容は女性より強いように思います。

例えば、自分の子どもが障がいを持って生まれてきた時、いつまでも、その事を受け入れられない、自分が障がい児の親だと認めたくないと、苦しみ続けるのは、父親の方が圧倒的に多いそうです。(若い世代の、よりリベラルな価値観の中で育ってきた男性たちについては違うのかもしれませんが) 

又、介護施設で、入所者の老人を虐待したり、家庭内で、介護度の高い母親や妻を虐待するのも男性の方が多いそうです。

2014年度調査では、介護施設の男性職員の比率は全体の21.9%なのに、虐待加害者の59.3%は男性職員だそうです。

女性職員は力がないから、という指摘もあるでしょうが、虐待は力がなくてもできますしね。

障がい者施設の入所者への暴力などで、告発されるのも、男性職員ばかりな気がしますが。でも、これは女性職員はあまり、障がい者施設で働かないとか、暴力をふるうような虐待は女性にはできないから、という理由もあるかも、ですが。

どうして、女性に比べて男性は弱者に辛く当たってしまう人が多いのか?

これは私の全くの独断、推測でしかありませんが、

原始時代から、男は狩りをして家族を食べさせたり、他の種族と戦ったり、強くなければ生きていけなかったので、「強くあれ」という価値観が一番大事だという遺伝子を内包しているから、弱い人に感情移入するのが、苦手なのではないでしょうか?

一方、女は自分自身も、体力的、経済的に弱いし、赤ちゃんや子ども等弱い者の世話をするのが仕事だったので、自然と弱者の立場に立てるような遺伝子を持っているのでは?

それに21世紀の今でさえ、男性は、弱肉強食の資本主義な社会で、独身者は自分の生活やキャリアを守る為、妻帯者は家族の生活を守る為に常に他人と戦ってかないとならないですものね。そして、勝つ為に弱い者の気持ちなんて考えてる暇もないでしょう。常に強い物や上を見て生きなければならない人間に「弱者の立場に立ってみろ」なんて、言うの、酷ですよね。

又、どこかで聞いた話ですが、生物のオスというのは、自分のDNAをこの世に残したい、という本能がとても強いそうです。なので、ストレートの男性は、ゲイとかレズとか、生殖に結びつかないセックスを象徴するような文化や思想が、理屈ではなく本能的に理解できないので嫌なのかもしれないな、と思います。

 

この記事を読んでくださった方の中で自分の事を悪く言われてるように聞こえ、気分を害した男の方がいらっしゃったらごめんなさい。

男と女はこんなに違うんだ、という事を書きたかっただけですが、憤慨された方で意見や反論をコメントしてくださる方がいたら、喜んで読ませてもらいます。

 

祝デル・トロ監督! がんばれ異形の者たち

アカデミー賞作品賞受賞

おめでとう! 

シェイプ・オブ・ウォーター

おめでとう!

ギレルモ・デル・トロ監督

 おめでとう!

この作品の制作にゴーサインを出した

FOXサーチライトの方々

 

アカデミー賞の中継番組でゲストによばれてた映画評論家の町山智浩さん(55歳)。彼はデル・トロ監督と友達なんだそうですが、その彼が、シェイプ・オブ・ウォーターの作品賞受賞を受けて、

ゴジラでもウルトラマンでも取れなかったのに……」

と、男泣きするのを見て、私も、もらい泣きしてしまいました。

デル・トロ監督(53歳)の監督賞受賞には誰も驚かなかったでしょうが、『スリー・ビルボード』に勝って作品賞取るなんて……

私はデル・トロ監督の作品は、シェイプ・オブ・ウォーター含め3作しか観てませんが、何故か、この人を含めたメキシコ出身の3人の監督、アレハンドロ・イリャリトゥ(54歳)、アルフォンソ・キュアロン(56歳)のスリーアミーゴスは応援したくなります。

キュアロン監督作品はそうでもないですが、デル・トロ監督の作品は私が観たパンズ・ラビリンス(2007年日本公開)クリムゾン・ピーク(2016年日本公開)そして本作(3/1~公開中)ともおとぎ話+哀愁だし、イリャリトウ監督のも、『21グラム』(2004年日本公開)や『ビューティフル』(2011年日本公開)、『レヴェナント』(2016年日本公開)とか、哀愁を帯びたトーンのが多くて、メキシコって太陽がサンサンと照りつける明るい気候の陽気な国民性のように思えるのに、何故そんな国からこんなに哀愁を帯びた作品を作るクリエーター達が出るんだろうなぁ……それはメキシコの映画学校の先生が言っていた「メキシコには92(数字はうろ覚えです)の異なった文化があり、メキシコ人は幼少から様々な異なった文化や価値観を受け入れて育つ」という事と関係があるのでは?と思います。一面的でない多様な芸術性や価値観。美男美女達の豪華絢爛な王道ストーリーしか作れないハリウッドの資本主義に反するセンスは世界中の映画ファンに歓迎されているんじゃないかって思います。

この『シェイプ・オブ・ウオーター』も、最初はハリウッドの大きな映画制作会社が、金を出すかわりに、「ヒロインをもっと美人にしろ」と言ってきたそうです。で、そうきたら、次は「この半魚人を実はハンサムな王子様でしたっていう風に変えろ」と言ってくるかもしれないと、警戒したデル・トロ監督はその大手制作会社と手を切ったそうです。

彼はディズニー制作の美女と野獣みたいな作品には絶対したくなかったそうです。だって、人は見た目じゃないよ、っていうテーマなのに、結局は見た目のいい王子様に戻るのはおかしいから。

そして、製作費を捻出するために自腹をたくさん切って、その信念を貫き通して作った、美男美女がでてこないロマンス映画がアカデミー賞の、ハリウッドの価値観の最高峰に立ったのです。監督の友達の町山さんじゃなくたって泣きますよ。

シェイプ・オブ・ウォーター

という題名もとても凝ってますよね。美女と野獣みたいなそのものずばりの野暮な表現ではなく、『水の形』という題名の中に、

「愛は、水のようにどんな形にもなる」

「水の形のような目に見えない物の中にある美しさ」

を意味しているそうです。

以下、部分的なネタばれ付き 感想です。

 

シェイプ・オブ・ウォーター

監督:ギレルモ・デル・トロ

脚本:ギレルモ・デル・トロ

   ヴァネッサ・テイラー

 


『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編

 

あらすじ 

1962年、アメリカとソビエトの冷戦時代、清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザ(サリー・ホーキンス)は孤独な生活を送っていた。だが、同僚のゼルダオクタヴィア・スペンサー)と一緒に極秘の実験を見てしまったことで、彼女の生活は一変する。 人間ではない不思議な生き物との言葉を超えた愛。それを支える優しい隣人らの助けを借りてイライザと“彼”の愛はどこへ向かうのか……。

 

  出典:Filmarks

 

半魚人(ダグ・ジョーンズ 57歳 半魚人の姿なので本人とは分からない)と恋に落ちる人間の女性、40歳の掃除婦、イライザ(サリー・ホーキンス 41歳)は初めて半魚人を見た時から全く彼を恐れませんでした。いくらイライザが捨てられた孤児だから孤独で、口がきけない障がい者だから世間でつまはじきされているからといっても、突然、まじかであの半魚人を見て、あの鳴き声を聞いたら怖がるでしょう……と最初は不自然で仕方ありませんでしたが、途中で、ああ、これは、イライザも彼と同じような怪物="異形の者"のように、人々から見られて生きてきたという事を象徴してるんだなと感じました。(正確には異形ではなく"異態"と言うべきでしょうが)

イライザは言います。

「言葉を喋らない彼が私を見る目は、口がきけない不完全な私ではなく、ありのままの私を見ている目だ」

と。

そんな目で見てくれたら、怖いなんて、全く思いませんよね。

この作品は大人のおとぎ話だと言われてますが、この2人の恋はまさにそうです。

だって、日々、大人として地に足をつけて堅実に生きているけど、自分のかたわれのような人に出会えて、そ の人と人生を共にできたらいいな……と思った事ありませんか?


イライザのお隣さんで親友でもあるう老画家ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス 70歳)も半魚人を異形の者、得体のしれない不気味な者という視線では見ません。この老画家もゲイとして異形の者とみなされて生きてきたからでしょう。又、芸術家として「何て美しい生物なんだ…」という感性で彼に接します。

イライザの同僚ゼルダ(オクタヴィァ・スペンサー 47歳)も半魚人の事を恐れたり、さげすんだりしません。イライザも黒人のゼルダも普通の人々が寝静まった夜中の間、極秘研究所でエリート白人達が汚した床やトイレの尿をふいたり、汚い物を始末する仕事をして生きている片隅に追いやられた側の人間だからでしょう。

この脚本て、本当に上手いよなぁ、と思うのは、半魚人の命を助けて海に逃そうとするイライザ達と敵対するエリートで、名声や出世が大好きで失敗する事が大嫌いな軍人ストリックランド(マイケル・シャノン 43歳)が、何から何までイライザ側の人々とは正反対な事です。気持ちがいいくらい正反対です。なので、憎むべき大悪役なのに、感情移入できちゃいます。この作品は誰一人として感情移入できない人はでてきません。そういう所もまた凄いです。

舞台は1962年のアメリカ。女性の地位も低く、黒人への差別も露骨にあった時代。デル・トロ監督によると、この時代、アメリカ人というと白人を指しその他の人種は"The Others"と呼ばれてたそうです。だから、白人以外は政治的な発言権もない為、黒人やラテン系の人々が、もし、[公にできないような事]を見聞きしても告発なんてできないだろうという推察により、この極秘研究所の清掃員達に黒人やラテン系の人々が雇われているんだそうです。

障がい者への差別も、今の時代の比ではなかったでしょう。LGBTへの偏見も、(町山さんの解説によると)その時代、警官が理由なくゲイ達をボコボコに殴っても許されたくらい酷かったそうです。

そして"The Others"ではないアメリカ国民の間では、国を挙げての共産主義国への嫌悪やライバル心が浸透していました。

そんな時代に、白人の男として生まれ、出世や名声を望み、それを手に入れる為に自分を叱咤激励して、必死に階段を昇ってきたストリックランド。愛読書は当時ベストセラーになっていた『The Power of Positive Thinking』です。トランプ大統領が信望している本だそうです……上手い!上手すぎる……

そんなストリックランドにとって、未開のアマゾンで発見された半魚人はたんなる怪物、研究材料で、人間扱いするなんてとんでもない。米国の利益と自分のキャリアの為に、研究材料として、殺して解剖する事に何の罪悪感も感じません。イライザやゼルダを「尿を拭き、糞の始末をする奴ら」とこれも又、人間として見てません。

それなのに、グラマーでも美人でもない、口もきけない障がい者と見下しているイライザに、心の片隅で惹かれてしまうのです。イライザを抱いて、喘ぎ声を聞いてみたい、と。明るくて力強くて地位の高い物に憧れ、手に入れる事が人生の目標なのに(彼の上品で若くて美しい白人美人の奥さんはそういう価値観の象徴のようです)その一方で、真反対の暗くて弱くて卑しい(と彼が思っている)物に強く興味をもつのです。もしかすると、イライザの事を家畜のように痛めつけて、その姿を見てみたいのかもしれません、半魚人の事も、電流の通った棒で殴って虐待してましたから。自分よりはるかに下等な生物だと思っている半魚人やイライザの自分を見る目の中に、軽蔑の色を感じて、悔しくて憎くて、だから"そいつらを征服した"という気分を味わいたいのかもしれません。いずれにしろ、イライザに強い執着がある事に変わりはありません。この人間としての不思議さ、奥深さを含めて、ストリックランドに非常に生々しい人間臭さを感じて、軽蔑する一方ですごく理解できます。

人間らしい、本当にいい悪役でした。私はアカデミー賞助演男優賞候補は老画家ジャイルズではなくこのストリックランドの方がずっと敵してたと思います。

本当に、本当に深くて、色んなメッセージ、色んな価値観を含んでいるシェイプ・オブ・ウォーター。本作が作品賞を取った事は他の意味においても、とても大きな価値があるようです。

怪獣映画でも作品賞が取れるんだ、もう世界はそこまできたんだと。

そして変わり者、変わった物が好きな人達はこれからは胸を張って、変わった物への愛情をきわめたり、デル・トロ監督のようにその愛情を仕事に注げば、それが、いつか大勢の人に支持され、認められる、そんな明るい楽しい可能性が大きく開けたんですね。

そして、「"異形の者"とされてきた人々、変わり者も、障がい者も、マイノリティも、移民も、この世界の上で胸をはって堂々と生きていいんだ、そういう世界にしなきゃいけないんだ」と、あの見るからに優しそうなデル・トロ監督が伝えてくれてる気がします。

 

  

 

おまけ

スリー・ビルボード

マーティン・マクドナー監督、アカデミー賞では冷遇されてましたね。

脚本賞だけは確実だと思ってましたが、黒人差別を肌で感じて生きてきた米国人が自国の問題を描いたゲット・アウトの監督ジョーダン・ピールに横取りされてしまいましたね。

深読みしちゃって、

「外国人の貴方(マクドナー監督は英国人)に、自国の抱える人種問題とか、分断とかの深い悩みをそんな簡単に分かったような風に描いてほしくない」

と思われたのかなあ……なんて考えるとちょっと面白かったです。

 

この監督に感動させられるとは……『スリー・ビルボード』

本当に本当にすみません。

どうしても言いたい気持ち、言いたい部分があるので、

スリー・ビルボードのネタばれしてます。

 

 

去年9月のトロント映画祭での観客賞(グランプリ)受賞以来賞レースの話題を席巻している『スリー・ビルボード』の監督、脚本家マーティン・マクドナー(47歳)の事をウイキペディアで調べたら、名戯曲家でもあり、

[現代アイルランド文学において最も重要な作家のひとりとみなされている]

と書かれてたのでどんな凄い人なんだろう、と舞台は観れないので、前2作の映画をAmazonビデオとNetflixで観ました。

ヒットマンズ・レクイエム』

2008年イギリス公開(日本ではDVDスルー)

監督・脚本:マーティン・マクドナー

eiga.com

セブン・サイコパス

2013年日本公開

監督・脚本:マーテイン・マクドナー

eiga.com

 

マーティン・マクドナー監督の脚本は、人物がこの先何をするか全く予想できないか、予想を100%裏切る事をするかのどちらかです。

そして本当に風刺が上手いです。

セブン・サイコパスはハリウッドの脚本家と俳優であるその友達を中心に話が進むのですが、

脚本家のマーティが「セヴン・サイコパス」という題でシナリオを書くように依頼されて、脚本の構想として自分が考える最高にグロいサイコパスのストーリーを友人のビリーに語り、

「でも、そんな話はもう書きたくないんだ」

と言うと、ビリーが

「『セブン・レズビアン』に変えたら?全員が身体障がい者で性格良くて、二人は黒人」

と答えたり、

「映画は女は殺せても動物は殺せないから」

と言ったり、今の映画製作に関しての痛烈な皮肉がてんこ盛りです。

最近の、特にハリウッドでは映画はLGBTや有色人種への差別撤退をかかげないといけなかったり、動物や子どもの虐待には非常に敏感ですが、5、6年前からもうそんな風潮だったんですね。

ヒットマンズ・レクイエム』でも、殺し屋達が鉄の掟として[子どもは殺さない]と決めてます。初心者の若い殺し屋が間違って、暗殺者と一緒に子どもを殺してしまった事を悔いて自殺しようとするシーンまでありますが、大人は女でも老人でも誰でも殺していいけど、子どもだけは殺してはいけない、という価値観がすごく不思議で、殺し屋達がそれに振り回されるのが、滑稽にみえます。子どもの虐待に過剰に敏感なメディアや政治家への風刺なのかもしれないと思いました、というか絶対に風刺でしょう……でも、観ている時は、鈍い私はそれに気がつきませんでした。

作品の大きなテーマ(子どもを殺す事への罪悪感)そのものが風刺になってる……本当に曲者だなあ、切れ者だなあ、と唸りたくなります。

この人が同じように風刺の上手い北野武監督を敬愛してる、というのもうなずけるなあ、と思いました。暴力多い作風も同じですね。

マクドナー監督はウイットや風刺の上手な国民性の国、イギリス育ちですが、その洗練されたヒューモアセンスがお家芸の国の人に尊敬される日本人の北野監督も凄いなあと思います。

この2本とも、本当におしゃれで上手い脚本なのですが、ただ、どちらにも同じ人間としての共感や感動は引き出されません。ヒットマンズ・レクイエム』は殺し屋の人達の話で殺す行為が中心ですし、セブン・サイコパスはもっと殺伐とした作品になってます。題名通り異常な人ばっかり出てきて、残酷な殺人シーンが、ゆるーくオフビートに続いていくのですが、何故かサイコパス達がユーモラスでセリフの一言一言に風刺が効いているせいでしょうか、ただの"アクション中味ない系”の映画じゃない、人生とか人間について、何か教わったような気がしてしまいます。

そんな、バイオレンス映画を作っても、ただの暴力映画に終わらないマクドナー監督が、とうとう、暴力に訴えない、人間の心のひだを丁寧に描いた”人間ドラマ”を完成させてくれました。

 

スリー・ビルボード

 2018年2月日本公開

監督・脚本:マーティン・マクドナー

 ロッテントマト トマトメーター 93%

ヴェネツィア映画祭脚本賞受賞

トロント映画祭観客賞受賞

ゴールデングローブ映画ドラマ部門

作品賞受賞

脚本賞

主演女優賞

助演男優賞

全米映画俳優組合賞キャスト賞受賞

 

スリー・ビルボード

 

あらすじ

娘が人通りのない街はずれの道路ぞいでレイプされ残酷な方法で殺されて9か月たっても犯人逮捕の兆候がない事にいきどうりを感じているシングルマザーのミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)がその現場近くの3枚の広告用看板に5,000ドル払って警察の無能を責める内容のメッセージ広告を貼りだす。

その3枚目の看板が住民に慕われ同情されている(膵臓ガンで余命わずかだ、という事を何故か住民みんな知っている)ウイロビー署長(ウッディ・ハレルソン)の責任を問うような文面になっている為、ミルドレッドは町の住民のほとんどを敵に回すような立場にたたされるが、1mmたりともひかない。ウイロビー署長に心酔しているダメ警察官のディクソン巡査(サム・ロックウェル)はミルドレッドが許せない。ミルドレッドの娘の事件とミルドレッドの行為をめぐり、ディクソン、ウイロビー、そしてこの3人の家族と町の住民達がそれぞれの思いを交錯させていく。

 

ネタばれ付き感想

米国では若い娘がレイプされ殺される事なんて日常茶飯事なんでしょうか?

母親としての犯人逮捕への悲痛な願いから貼りだした広告看板を同情されるどころか、みんなが敬愛する病気の警察署長への心ない行為だと住民達から責められる、でも、嫌われても嫌われてもひるまないのは、ミルドレッド本人の性格からなのか、何か理由があっての事なのか、考えながら観ていると、彼女も、可哀そうな母親という一方的な被害者とは言えないのでは?という事が分かってきます。

事件当日、「出かけて夜帰ってくるから車を貸して欲しい」と頼んだ娘に、

マリファナ(ミズーリ州では違法)をやったお仕置きのつもりで、「謝るなら夜帰ってくるのにタクシー代はあげる、でも車は貸さない」と言うミルドレッド。怒った娘が言い返してケンカになってしまいます。逆上して「歩いて帰ってこい、車は貸さない」と言ってしまったミルドレッドに更に逆上した娘が「私がレイプされてもいいのね?」と言い返すと、ミルドレッドも売り言葉に買い言葉で「レイプされてもいいわ」と答えてしまったのです。ケンカ別れしたまま外出した娘は結果、歩いて帰ってくる途中で被害者になります。

これを知ると、

「なんだ、あんたにも責任があるじゃないか!」

とそれまでの可哀そうな母親感が急速に冷えていきます。

娘を持っているお母さんなら、たとえ、ケンカして一時はカッとなっても、米国の田舎道みたいな治安の悪い所を夜一人で歩かせたりはしないわ、と思うんじゃないでしょうか?娘を持ってない私でも思うのだから。 娘を持つお母さんで、「そんなことないわ!」という意見の方は反対意見でもコメントしてくださるとうれしいのですが……

(期待すると辛いので期待はしないぞ)

 

ですから、ミルドレッドの行動には、後ろめたさからくる自分自身への怒りも含まれてるのだなあと感じます。

でも、主人公がただの可哀そうなだけのお母さんじゃない所がマクドナー監督の人間観であり、名劇作家と言われる所以でもあるのではないか、と思います。

人間の幾重にも重なる心のひだ、誰にも外見からは想像できない複雑な感情がある。マクドナー監督の脚本は登場人物が次に何をするか分からないのが魅力なんですが、それこそが予定調和で作られたのでない生の人間を観ている感覚です。

この作品のチラシ。

荒涼とした淋しい田舎道に立っている3枚の広告看板を写してるだけの写真が実にいいです。

いろんな方のレビューで語られているように、3枚の看板がミルドレッドとディクソン巡査とウイロビー署長を比喩し、看板に表と裏がある事が人間にも表と裏がある事を比喩しているのでは、と私も思いました。

更に表と裏というのは、暴力や憎しみに対する愛や許しという対極の物を比喩してるように思えてなりません。

ゆえに、前2作はおしゃれでおもしろいんだけど、共感できる普遍性は全く感じなかったですが、今作では、とうとう登場人物に共感できる、感動できる、観た後、心に残る作品になってました。

今まで暴力に形を借りて人間を描いてきたこの作家が暴力の反対側、人間の優しさや許容を強調する展開に舵をきったのです。

人種差別主義者で短気なダメ警官、警官としても人間としても、誰からも尊敬も頼りにもされなかったディクソンがウイロビー署長の暖かく愛情のこもった助言をもらい、自分が暴力をふるって大けがを負わせた相手から予想に反した慈悲の心を見せつけられ変わります。警察官魂を取り戻し、ミルドレッドの娘の殺害者を挙げる為に容疑者にボコボコに殴られ、血だらけで息も絶え絶えになりながら容疑者のDNAの入った皮膚辺を証拠品袋に入れるシーンでは、心の中で「がんばれー!がんばれー!」と叫んでいました。

この大きな人間的成長で感動させられるので、最初から最後まで、はでな成長は起きない主役のミルドレッド(小さな成長はあり)よりディクソンというキャラクターの方に主役がかすんでしまうような存在感がありました。

ただ、観終わって余韻が覚めてから考えると、ディクソン変わりすぎじゃないの?たとえ敬愛する人の金言に感化されたとしても、憎まれて当然の相手から優しくされたとしても、人間てあんなに急に変われる?と何か喉に小さな骨がささった感触が湧いてきましたが、そこは、感動させてくれないマクドナー監督が感動できる作品を作ってくれたという点で多少のご都合主義は帳消しにしたくなります。この人はそれ位魅力的な作家です。

アカデミー賞ノミネートで、作品、脚本、主演女優賞助演男優賞編集賞など、名だたる所に名を連ねているなか、何故か監督賞だけノミネートされなかったのは、アカデミー会員達のマクドナー監督への嫉妬じゃないか、と思う程です、又はこれほど素晴らしい脚本だったら誰が監督をしようが、優れた作品になるのは当たり前だと感じるからでしょうか。

 

個人的疑問

広告の看板を持っている会社から契約書の取り決めにより最初に払った5,000ドル以外に、更に5,000ドルの広告料を要求されたミルドレッドは途方にくれます。5,000ドルって55万円前後ですよね?日本人の感覚だと60万位の貯金なら労働者階級の人でもあるんじゃないか、と思ってしまいますが、ミルドレッドはないんですよねぇ、最初に払った55万円位も離婚した旦那の残していった車を売って作っています。これは日本と同じようにミルドレッドがシングルマザーだから、いっぱいいっぱいの生活で貯金なんてないからなんでしょうか?

それとも、米国の田舎の労働者階級の白人はシングルマザーでなくても、60万円程度の貯金もないのが普通なんでしょうか?