映画についてのよけいな事

映画好き。でも何故か映画の感想より俳優や監督への感想ばかり

この監督に感動させられるとは……『スリー・ビルボード』

本当に本当にすみません。

どうしても言いたい気持ち、言いたい部分があるので、

スリー・ビルボードのネタばれしてます。

 

 

去年9月のトロント映画祭での観客賞(グランプリ)受賞以来賞レースの話題を席巻している『スリー・ビルボード』の監督、脚本家マーティン・マクドナー(47歳)の事をウイキペディアで調べたら、名戯曲家でもあり、

[現代アイルランド文学において最も重要な作家のひとりとみなされている]

と書かれてたのでどんな凄い人なんだろう、と舞台は観れないので、前2作の映画をAmazonビデオとNetflixで観ました。

ヒットマンズ・レクイエム』

2008年イギリス公開(日本ではDVDスルー)

監督・脚本:マーティン・マクドナー

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セブン・サイコパス

2013年日本公開

監督・脚本:マーテイン・マクドナー

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マーティン・マクドナー監督の脚本は、人物がこの先何をするか全く予想できないか、予想を100%裏切る事をするかのどちらかです。

そして本当に風刺が上手いです。

セブン・サイコパスはハリウッドの脚本家と俳優であるその友達を中心に話が進むのですが、

脚本家のマーティが「セヴン・サイコパス」という題でシナリオを書くように依頼されて、脚本の構想として自分が考える最高にグロいサイコパスのストーリーを友人のビリーに語り、

「でも、そんな話はもう書きたくないんだ」

と言うと、ビリーが

「『セブン・レズビアン』に変えたら?全員が身体障がい者で性格良くて、二人は黒人」

と答えたり、

「映画は女は殺せても動物は殺せないから」

と言ったり、今の映画製作に関しての痛烈な皮肉がてんこ盛りです。

最近の、特にハリウッドでは映画はLGBTや有色人種への差別撤退をかかげないといけなかったり、動物や子どもの虐待には非常に敏感ですが、5、6年前からもうそんな風潮だったんですね。

ヒットマンズ・レクイエム』でも、殺し屋達が鉄の掟として[子どもは殺さない]と決めてます。初心者の若い殺し屋が間違って、暗殺者と一緒に子どもを殺してしまった事を悔いて自殺しようとするシーンまでありますが、大人は女でも老人でも誰でも殺していいけど、子どもだけは殺してはいけない、という価値観がすごく不思議で、殺し屋達がそれに振り回されるのが、滑稽にみえます。子どもの虐待に過剰に敏感なメディアや政治家への風刺なのかもしれないと思いました、というか絶対に風刺でしょう……でも、観ている時は、鈍い私はそれに気がつきませんでした。

作品の大きなテーマ(子どもを殺す事への罪悪感)そのものが風刺になってる……本当に曲者だなあ、切れ者だなあ、と唸りたくなります。

この人が同じように風刺の上手い北野武監督を敬愛してる、というのもうなずけるなあ、と思いました。暴力多い作風も同じですね。

マクドナー監督はウイットや風刺の上手な国民性の国、イギリス育ちですが、その洗練されたヒューモアセンスがお家芸の国の人に尊敬される日本人の北野監督も凄いなあと思います。

この2本とも、本当におしゃれで上手い脚本なのですが、ただ、どちらにも同じ人間としての共感や感動は引き出されません。ヒットマンズ・レクイエム』は殺し屋の人達の話で殺す行為が中心ですし、セブン・サイコパスはもっと殺伐とした作品になってます。題名通り異常な人ばっかり出てきて、残酷な殺人シーンが、ゆるーくオフビートに続いていくのですが、何故かサイコパス達がユーモラスでセリフの一言一言に風刺が効いているせいでしょうか、ただの"アクション中味ない系”の映画じゃない、人生とか人間について、何か教わったような気がしてしまいます。

そんな、バイオレンス映画を作っても、ただの暴力映画に終わらないマクドナー監督が、とうとう、暴力に訴えない、人間の心のひだを丁寧に描いた”人間ドラマ”を完成させてくれました。

 

スリー・ビルボード

 2018年2月日本公開

監督・脚本:マーティン・マクドナー

 ロッテントマト トマトメーター 93%

ヴェネツィア映画祭脚本賞受賞

トロント映画祭観客賞受賞

ゴールデングローブ映画ドラマ部門

作品賞受賞

脚本賞

主演女優賞

助演男優賞

全米映画俳優組合賞キャスト賞受賞

 

スリー・ビルボード

 

あらすじ

娘が人通りのない街はずれの道路ぞいでレイプされ残酷な方法で殺されて9か月たっても犯人逮捕の兆候がない事にいきどうりを感じているシングルマザーのミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)がその現場近くの3枚の広告用看板に5,000ドル払って警察の無能を責める内容のメッセージ広告を貼りだす。

その3枚目の看板が住民に慕われ同情されている(膵臓ガンで余命わずかだ、という事を何故か住民みんな知っている)ウイロビー署長(ウッディ・ハレルソン)の責任を問うような文面になっている為、ミルドレッドは町の住民のほとんどを敵に回すような立場にたたされるが、1mmたりともひかない。ウイロビー署長に心酔しているダメ警察官のディクソン巡査(サム・ロックウェル)はミルドレッドが許せない。ミルドレッドの娘の事件とミルドレッドの行為をめぐり、ディクソン、ウイロビー、そしてこの3人の家族と町の住民達がそれぞれの思いを交錯させていく。

 

ネタばれ付き感想

米国では若い娘がレイプされ殺される事なんて日常茶飯事なんでしょうか?

母親としての犯人逮捕への悲痛な願いから貼りだした広告看板を同情されるどころか、みんなが敬愛する病気の警察署長への心ない行為だと住民達から責められる、でも、嫌われても嫌われてもひるまないのは、ミルドレッド本人の性格からなのか、何か理由があっての事なのか、考えながら観ていると、彼女も、可哀そうな母親という一方的な被害者とは言えないのでは?という事が分かってきます。

事件当日、「出かけて夜帰ってくるから車を貸して欲しい」と頼んだ娘に、

マリファナ(ミズーリ州では違法)をやったお仕置きのつもりで、「謝るなら夜帰ってくるのにタクシー代はあげる、でも車は貸さない」と言うミルドレッド。怒った娘が言い返してケンカになってしまいます。逆上して「歩いて帰ってこい、車は貸さない」と言ってしまったミルドレッドに更に逆上した娘が「私がレイプされてもいいのね?」と言い返すと、ミルドレッドも売り言葉に買い言葉で「レイプされてもいいわ」と答えてしまったのです。ケンカ別れしたまま外出した娘は結果、歩いて帰ってくる途中で被害者になります。

これを知ると、

「なんだ、あんたにも責任があるじゃないか!」

とそれまでの可哀そうな母親感が急速に冷えていきます。

娘を持っているお母さんなら、たとえ、ケンカして一時はカッとなっても、米国の田舎道みたいな治安の悪い所を夜一人で歩かせたりはしないわ、と思うんじゃないでしょうか?娘を持ってない私でも思うのだから。 娘を持つお母さんで、「そんなことないわ!」という意見の方は反対意見でもコメントしてくださるとうれしいのですが……

(期待すると辛いので期待はしないぞ)

 

ですから、ミルドレッドの行動には、後ろめたさからくる自分自身への怒りも含まれてるのだなあと感じます。

でも、主人公がただの可哀そうなだけのお母さんじゃない所がマクドナー監督の人間観であり、名劇作家と言われる所以でもあるのではないか、と思います。

人間の幾重にも重なる心のひだ、誰にも外見からは想像できない複雑な感情がある。マクドナー監督の脚本は登場人物が次に何をするか分からないのが魅力なんですが、それこそが予定調和で作られたのでない生の人間を観ている感覚です。

この作品のチラシ。

荒涼とした淋しい田舎道に立っている3枚の広告看板を写してるだけの写真が実にいいです。

いろんな方のレビューで語られているように、3枚の看板がミルドレッドとディクソン巡査とウイロビー署長を比喩し、看板に表と裏がある事が人間にも表と裏がある事を比喩しているのでは、と私も思いました。

更に表と裏というのは、暴力や憎しみに対する愛や許しという対極の物を比喩してるように思えてなりません。

ゆえに、前2作はおしゃれでおもしろいんだけど、共感できる普遍性は全く感じなかったですが、今作では、とうとう登場人物に共感できる、感動できる、観た後、心に残る作品になってました。

今まで暴力に形を借りて人間を描いてきたこの作家が暴力の反対側、人間の優しさや許容を強調する展開に舵をきったのです。

人種差別主義者で短気なダメ警官、警官としても人間としても、誰からも尊敬も頼りにもされなかったディクソンがウイロビー署長の暖かく愛情のこもった助言をもらい、自分が暴力をふるって大けがを負わせた相手から予想に反した慈悲の心を見せつけられ変わります。警察官魂を取り戻し、ミルドレッドの娘の殺害者を挙げる為に容疑者にボコボコに殴られ、血だらけで息も絶え絶えになりながら容疑者のDNAの入った皮膚辺を証拠品袋に入れるシーンでは、心の中で「がんばれー!がんばれー!」と叫んでいました。

この大きな人間的成長で感動させられるので、最初から最後まで、はでな成長は起きない主役のミルドレッド(小さな成長はあり)よりディクソンというキャラクターの方に主役がかすんでしまうような存在感がありました。

ただ、観終わって余韻が覚めてから考えると、ディクソン変わりすぎじゃないの?たとえ敬愛する人の金言に感化されたとしても、憎まれて当然の相手から優しくされたとしても、人間てあんなに急に変われる?と何か喉に小さな骨がささった感触が湧いてきましたが、そこは、感動させてくれないマクドナー監督が感動できる作品を作ってくれたという点で多少のご都合主義は帳消しにしたくなります。この人はそれ位魅力的な作家です。

アカデミー賞ノミネートで、作品、脚本、主演女優賞助演男優賞編集賞など、名だたる所に名を連ねているなか、何故か監督賞だけノミネートされなかったのは、アカデミー会員達のマクドナー監督への嫉妬じゃないか、と思う程です、又はこれほど素晴らしい脚本だったら誰が監督をしようが、優れた作品になるのは当たり前だと感じるからでしょうか。

 

個人的疑問

広告の看板を持っている会社から契約書の取り決めにより最初に払った5,000ドル以外に、更に5,000ドルの広告料を要求されたミルドレッドは途方にくれます。5,000ドルって55万円前後ですよね?日本人の感覚だと60万位の貯金なら労働者階級の人でもあるんじゃないか、と思ってしまいますが、ミルドレッドはないんですよねぇ、最初に払った55万円位も離婚した旦那の残していった車を売って作っています。これは日本と同じようにミルドレッドがシングルマザーだから、いっぱいいっぱいの生活で貯金なんてないからなんでしょうか?

それとも、米国の田舎の労働者階級の白人はシングルマザーでなくても、60万円程度の貯金もないのが普通なんでしょうか?