映画についてのよけいな事 

練りきり作りましょう!

自分に似た人 『ラブレス』 

『ラブレス』のネタばれあります。

 

 

今凄く観たい映画があります。

『ラブレス』というロシア製のミニシアター作品です。

『ラブレス』 

(4/7~順次公開)

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監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ(54歳)

脚本:オレグ・ネーギン

   アンドレイ・ズビャギンツェフ

 

 

あらすじ

一流企業で働くボリスと美容院を経営するイニヤの夫婦。二人はそれぞれ、別にパートナーがおり、一刻も早く別れて新しい人生をスタートさせたいと思っている。問題は12歳の一人息子アレクセイのことだ。夫婦どちらも、新しい生活に息子を必要としていなかった。ある晩、二人は激しく罵り合い、お互いに息子を押し付け合い口論をする。翌朝、学校に出かけた息子はそのまま行方不明に。彼らは必死で息子を探すがーー

 

 

  • 審査員賞

 外国語映画賞

セザール賞2018年43回
  • 外国映画賞

 出典:Filmarks

 

  

東京まで1万円出して行かないと観れないのですが、"シャッター商店街の中の寂れた電気屋"のような、このブログに書き込む為に1万円出す気にはなれないので、5/26からの地方公開を待ってます。でも、あらすじやレビューを読むとものすごく心に突き刺さりそうな作品なので、まだ観てないのに、先に、見たつもりレビューを書いてみます。

こんないい加減な事も平気でできるのは、失う物がないブロガーの便利なとこです。

 

失踪した息子アレクセイは死んだのか生きているのかどうかわからず捜索は打ちきり、この母親は別の人と再婚するが、幸せそうではなく、父親も別の女性と 再婚し、子どもが生まれるが、その子への愛情もなさそう、という救いのない終わりだそうで、まさに現代的な病を描いた作品という感じです。

この作品の中には、死んだ目でスマホをいじっている人々が象徴的に出てくるそうです。

又、この母親が、息子に一人で朝ごはんを食べさせている時も、喧嘩している最中でさえ、常にスマホを離さないそうです。

 

以前、どこかの公園だったかと思いますが、こんな光景を見ました。

ベンチに座る若いお母さんがスマホをいじっていると、男の子が駆け寄ってきて、

「ママー、逆上がりできたー!」

と嬉しそうに報告すると、お母さんはスマホから目を離さず、

「そう、じゃ、もっとやっといで」

と言って子どもを追い返してました。

多分、初めてできたんでしょう、逆上がりが。嬉しくて嬉しくて知らせに来た我が子にこれですよ。

私は暫く開いた口が塞がりませんでした。

出産後に子育ての楽しさを知り保育士の免許を取ったような、そういう私だから余計オーバーに感じるのかもしれませんが、これからの日本を悲観して暗い気持ちになってしまいました。

これって文明の発達は大きな公害を伴うという分かりやすい例ですよね。

昔だったら、お母さんやお父さんが、子どもを公園とか遊園地に連れていって、たとえ、「めんどくさいなあ、つまんないなあ」と思っても、スマホなんてなかったから仕方なく子どもの相手をしてたのに。

 

先日、我が県の最大シェアを 占める  新聞の紙面に、Googleの宣伝広告が大きく載ってました。

その部分を写真で撮って載せれば、一目瞭然で分かりやすいのですが、新聞の著作権てとても厳格なようなので、いつものように、ネットから引用の範囲で引っ張ってこれないため、説明しますと、

お年寄りなど、普段あまりネット検索をしない方々に、

[どこかいいお出かけスポットを探している時は、近所の人に聞く前に、Googleで検索してみよう]

と呼びかけている内容の広告です。

一見するとGoogleが便利な事を教えてくれてるようにみえますが、よく考えたら、

お年寄りなど、ただでさえ、社会との接点、交流が多くない方々に、更に交流を減らして、近所の人と会って、話をするより、自宅でスマホを見て過ごしましょう、と呼びかけてるのと同じだと思うのですが、

これって、今、国や自治体が高齢者福祉の分野で一生懸命すすめている、呆け防止、高齢者の孤独防止の為に、

「人と話しましょう、地域ともっと交流しましよう」

という方針と真反対だと思います。

でも、今の資本主義経済の繁栄の頂点に君臨するGoogle、そんな企業の方々にとっては、高齢者の福祉問題なんてどうでもいい事なんでしょうね。

 

ただ、私、この『ラブレス』の様な母親、自分の人生に自分の子どもが邪魔だと思ってしまう人間の気持ちも分かるんです。

私は、独身時代、純粋に、子どもが可愛いとか、欲しいと思った事はありませんでした。

ただ、結婚したら、娘を産んで、自分と母親の様な友達親子になり、買物や食事や旅行を一緒に楽しみ、娘の産んだ子(孫)を自分のやりたいように可愛がって、幸せな老後を送る計画は、はっきりたてていました。

 

私も、自分の幸せの為に、子どもを使おうとしていたのです。

その罰のように、第1子は男の子で、しかも、いっときもじっとしてない、1歳半検診の時に、保健師さんから、ADHDの疑いがある、と言われる程の大物だったので、体力的に毎日ヘトヘトで、娘が欲しいから二人目を、なんて考える余裕もなかったのですが、

そんな息子でも、1人では何もできない乳児の時から自分の時間を捧げて育てていくうちに、その苦労が更に子どもを可愛く大切に思わせてくれて、子育てが人生の張りになり、ちゃんと子どもを愛せる母親になれたわけです。

 

でも、もし、私が10代や20代前半で、色んな経験をしないで、母親になっていたら、そんな風に諦めがついて、親としての責任を持てたか…

 

私は享楽的な大学生活、刺激たっぷりのOL生活、海外生活、オートバイ、山登り、その他色々な経験をした後、年貢の納め時と思って結婚した為、母になってからは、「遊びたーい」という欲望で苦しむ事がありませんでしたが、もし私がまだ遊びたい若さで、思わぬ妊娠や、何かの目的の為に子どもを産んでしまったら、『ラブレス』の女主人公のように、大人にも、母親にもなりきれず子どもをいらないと思ったかもしれないです。

若くして母になって、自分の人生を犠牲にされたように感じても、それでも、子どもを愛し、幸せな親子関係をきづいている女性は大勢いるし、そういう方が殆どだと思いますが、私はそうなれなかったかも知れません 。

私も『ラブレス』の女性主人公と同様、自分優先の性格だからです。

自分の人生を自分の計画通りにしたくて、それを何かに邪魔される事に腹が立つ、エゴの塊なのです。

だから、欲しくてたまらなかった娘を持てなかった事を、他の普通の、息子だけのお母さん達のように、

「運なんだから仕方ないよ」

と、おおらかに諦めて、他人を妬まず、ひがまず、幸せに生きられないのです。

この作品のレビューを読むと、

[自分の幸せ優先に生きる人って、結局不幸になる]

というような感想が多いのですが、それは、自分にも当てはまり、まるで自分の事を言われてる気分です。

アレハンドロ・イリャニトウ監督(54歳)の

「人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ」

という言葉に感じるのと同じ、人生の真実な気がします。

今の私が本当の自分なのか……

淋しい老後を、でも、淋しさにも慣れて、運命をどっぷり受け入れて生きていくんだろうな。

努力すれば人生は思い通りになる、と信じて疑わなかった若い自分が懐かしい。