普通の人々の映画
久しぶりに心に沁みる米国映画を観た。ティラー·シェリダン脚本、監督の『 ウインド・リバー 』だ。
『ウインド・リバー』
(2018年 日本公開)
ワイオミング州ウィンド・リバー保留地。FWS(合衆国魚類野生生物局)の職員、コリー・ランバートは荒野のど真ん中で少女の死体を発見した。FBIは事件の捜査のために、新人捜査官のジェーン・バナーを現地に派遣した。自然の過酷さを甘く見ていたバナーは、捜査に難渋することとなった。そこで、バナーはランバートに捜査への協力を依頼した。2人は荒れ狂う自然と剥き出しの暴力に直面しながらも、ネイティブ・アメリカンの村社会の闇を暴き出していく。
出典:ウイキペディア
彼が脚本を書いたクライムアクション映画『 ボーダーライン 』も、同じ様なジャンル、同じ様なストーリーのハリウッド映画がゴロゴロある中、別格級に心に入り込んできて忘れられなかった。
そして、『最後の追跡』にいたっては、犯罪映画なのに人間ドラマ?と勘違いするほどの出来の良さで、第89回アカデミー賞の脚本賞と作品賞を含む4部門でノミネートされた。
『ボーダーライン』
(2016年 日本公開)
監督:ドゥニ・ヴィルヌーブ(51歳)
脚本:テイラー・シェリダン
「プリズナーズ」「灼熱の魂」のドゥニ・ビルヌーブ監督が、「イントゥ・ザ・ウッズ」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のエミリー・ブラントを主演に迎え、アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争の現実を、リアルに描いたクライムアクション。巨大化するメキシコの麻薬カルテルを殲滅するため、米国防総省の特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイトは、謎のコロンビア人とともにアメリカとメキシコの国境付近を拠点とする麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加する。しかし、仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した作戦内容や、人の命が簡単に失われていく現場に直面し、ケイトの中で善と悪の境界が揺らいでいく。共演にベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン。
出典:映画.com
続編『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』も、暮れに公開されました。
『ボーダーライン:
ソルジャーズ・デイ』
監督:ステファノ・ソリマ
脚本:テイラー・シェリダン
アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争の現実をリアルに描き、アカデミー賞3部門にノミネートされた「ボーダーライン」の続編。アメリカで市民15人が命を失う自爆テロ事件が発生した。犯人がメキシコ経由で不法入国したとの疑いをかけた政府から任務を命じられたCIA特別捜査官マットは、カルテルに家族を殺された過去を持つ暗殺者アレハンドロに協力を依頼。麻薬王の娘イサベルを誘拐し、メキシコ国境地帯で密入国ビジネスを仕切る麻薬カルテル同士の争いへと発展させる任務を極秘裏に遂行するが……。前作から引き続きベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリンが出演するほか、イザベラ・モナー、ジェフリー・ドノバン、キャサリン・キーナーらが脇を固める。脚本は前作「ボーダーライン」と「最後の追跡」でアカデミー賞脚本賞にノミネートされたテイラー・シェリダン。監督は前作のドゥニ・ビルヌーブから、イタリア人監督のステファノ・ソッリマにバトンタッチ。撮影は「オデッセイ」など近年のリドリー・スコット作品で知られるダリウス・ウォルスキー。音楽は前作を手がけ18年2月に他界したヨハン・ヨハンソンに代わり、ヨハンソンに師事していたアイスランド出身のヒドゥル・グドナドッティルが担当。
出典:映画.com
『最後の追跡』
Netflix配信
監督:デヴィッド・マッケンジー(52歳)
脚本:テイラー・シェリダン
家族の土地を守るため銀行強盗を繰り返す兄弟と、彼らを追う年老いたテキサス・レンジャーを描いたクライムドラマ。不況にあえぐテキサスの田舎町。タナーとトビーのハワード兄弟は、亡き両親が遺した牧場を差し押さえから守るため、連続銀行強盗に手を染める。慎重派のハワードが練った完璧な計画のおかげで兄弟は次々と襲撃を成功させていくが、刑務所から出所したばかりのタナーの無謀な行動のせいで次第に追い詰められていく。一方、定年を目前にしたテキサス・レンジャーのマーカスは、相棒のアルバートとともに事件の捜査に乗り出すが……。兄弟役を「インフェルノ」のベン・フォスターと「スター・トレック」シリーズのクリス・パイン、テキサス・レンジャーのマーカス役を「クレイジー・ハート」のジェフ・ブリッジスがそれぞれ演じた。「ボーダーライン」のテイラー・シェリダンが脚本を手がけ、「名もなき塀の中の王」のデビッド・マッケンジーがメガホンをとった。
出典:映画.com
最近、映画館へ映画を見に行く時間が、体力がない。
いつもはあきらめている地元のシネコンで、字幕版もあるという貴重な機会を与えられた『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2018年日本公開)さえ、見に行かなかった。同じく地元で、オスカーレースの中心に上りつめた『ボヘミアン・ラプソディー』(2018年日本公開)も、字幕で観れるのに、まだ、上映してるのに、行く気になれない。
ブログを始めた目的「気の合う人、又は真反対の人からコメントをもらって、映画について語り合う」は、開設後、1年もたつのに1つもコメントをもらってない、という状況で、完全に諦めた。それプラス、去年は和菓子の練り切り講習会をしたり、旅行に行ったりと、友人達との縁が賑やかになり、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で、独りぼっち海外旅行にもでかけたりして、いわゆる”リア充”が下りてきた。
自然と、ブログより”リアルの充実”の方が大事になる。
家の居間にこもって、1日中、苦手なパソコンとにらめっこして過ごすとか、ブログのネタのために時間をやり繰りして、映画館に足を運ぶ、とか、アマゾンビデオで問題作を鑑賞してみる、というのをやる気が湧かなくなって、もう、ブログも自然消滅させようと思っていた矢先だった。
ずっと観たくて待っていた作品、きっと、何か深い物、人間の哀しさみたいのに浸らせてくれて、余韻をくれる作品だと思ってた『ウインド・リバー』
普通の人々、あるいは、普通よりもっと苦労している人々の話。
やるせなさを抱えて、歯を食いしばって、又は歯を食いしばれずに生きている人々の話にはどうしたって寄り添わずにはいられない。
最近、普通の人々の話がものすごく減ってしまった気がする。
スーパーマンやJ・ボンドが世界中を飛び回って悪と戦うような別世界な話でもなく、宇宙人や恐竜や魔法使いが活躍するおとぎ話でもない。
私達と同じような普通の人が何かの拍子に道を踏み外して犯罪者になってしまう、それを又、普通の能力しかない人が職務上追いかけて捕まえる普通の人々のドラマ。
そういうどこか自分を反映できるような映画は、マーベルスタジオやスターウォーズの映画化権を所有してるウォルト・ディズニー社やそれに追随してDCエクステンデット・ユニバースを作ってるワーナー・ブラザーズ 、その他の配給会社の興収至上主義の苛烈な競争化の今、もう、生き残れないのでは、と感じる。
でも、マーベルスタジオが、次々とヒット記録を塗りつぶし、頂点を迎えた去年あたりから、あーいう大作映画って、「もう、飽きたな…」って感じませんか?
スケール、画面の美しさ、テンポ、スリル、セリフの上手さ、綿密に計算された完璧なエンターテイメントを2.5時間思いっきり楽しんだ後、心の中に何か残ってるかと言えば、何もない(私の場合は)
昔は『ファーゴ』(脚本:コーエン兄弟 主演:フランシス・マクドーマンド 第69回アカデミー賞脚本賞、主演女優賞受賞 1996年日本公開)や『テルマ&ルイーズ』(脚本:カーリー・クーリ 第64回アカデミー賞脚本賞受賞 1991年日本公開) 、
邦画では『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平 主演:緒方拳)みたいな、人間の愚かさ、哀しさ、残酷さゆえに、破滅していく様を描き、ぐいぐい心に突き刺さって離さない作品がもっともっと観れた気がする。
『阿修羅のごとく』(脚本:向田邦子 1979年1月、1980年1月 NHK放映)を再放送してた。TV画面から登場人物の体臭や体温まで漂ってくるような、人間を、男と女を、妻と夫を見事に描き切った名作だった。アクション物でもサスペンスでもない、ただの家族の話だけど、観ていて、少しも退屈なシーンがない。
映画好きがこうじてシナリオスクールに入って、自分がドラマの筋や登場人物のキャラクターを1から想像しないとならない、という立場になってから、改めて、向田邦子さんのドラマや脚本を見た時、天才だと思った。この人を超える人はこの先もでてこないだろうなと思った。
その直感通リ、ただ普通の人々を描いてるだけなのに観ていて面白いドラマを書ける脚本家が、今いるかと考えて、全く思いつかない。
コンピューターを駆使しての撮影技術が、飛躍的に進歩した今、「人間を描く」だけでエンターテイメントに仕上げる必要はない。
だから、人間の愚かさ、醜さ、可愛さ、哀しさを描いている作品にはもう、ほとんど出会えないのかもしれない。
『阿修羅のごとく』 の中の1シーン。
枯れ木も同然の老いた夫が、若い女(といっても40近い子持ち)の元に通ってる事を、知っていて、心の中は夜叉のように煮えくり返ってるのに、夫や娘達の前では何も知らない良妻を演じてる母親に、二女が、自分の夫が浮気してる事を愚痴る。
二女「でもね、あたし、黙ってるの」
母親「そうだよ、女はね、言ったら負け」
この母のセリフ、これは、昭和のどこにでもいる普通の妻の、必死で、家庭にしがみついて生きていた妻達の心の中の阿修羅を表している一言だと思う。
この母親は、もう、男とは言えない程、枯れこけた父親をまだ、男として愛してたんだろうか?
男としては愛してない、でも、自分の”物”である。それを誰にも取られたくない、みたいな理屈では説明できない感情だったのでは?と思う。
そういう理屈の通らない感情を、見た人みんなが共感できるセリフや、しぐさや、間で表現できる所が、向田邦子さんの天才である所以なんじゃないかと思う。
人間臭さぷんぷんで、自分や自分の周りの誰かみたいで、しみじみ共感に浸れるような作品は、もうあまり観れなくなっていく気がする。
そして、登場人物の人間臭さが、人間ドラマが、映像技術に負けてないエンターテイメント作品も。
エンターテイメントと登場人物の人間臭さを見事に調和させていた天才スピルバーグ(72歳)も、今や、ただの人という感が否めず、ヒューマニズムとドラマ性たっぷりのアクションエンターテイメントを見せてくれてたリドリー・スコット(81歳)も、昔の気迫がなくなってしまったと思う。
凄く、くだらない事だが、調べていたら、向田邦子さんはじめ、これらの大好きで尊敬している映画人達は皆、自分と同じいて座だった。
性格や好みが、生まれた月や日で、決まるなんて考え方は全く非科学的なんだけど、いて座は半分人間で半分野獣(馬)なんだと、聞くと、「ああ、当たってるなあ」と思う。。
時々、自分の中の野獣や夜叉を、醜い感情を、はっきり自覚するし、人間関係を壊す恐れがない場合はそれを隠す必要もないと思っている。だから、この西洋占星術の神話的な表現もまんざら外れてはなく、又、とにかく人間臭い人達の話が好きなのも、自分が半分野獣の心を持ってるからじゃないかと思ってる。
占いなんて興味のない科学的で、知的な方達にとっては、全くつまらない、うざい自分語りを聞かせてしまいました。すみません。
で、そういう訳で、アクション映画に人間臭さがなくなってきたと感じる今、テイラー・シェリダンという人の存在は、アクション映画に、濃ーい人間ドラマも要求してしまう私には、最後の希望だ、という事です。
シェリダン監督の次回作は、4月にクランクイン予定の『Fast』で、
クリス・プラット(39歳)主演だそうだ。
キュートだったり、色気たっぷりだったり、いろんな顔を見せてくれるけど、人間の深い業とか、苦悩とかは、今いち、表現できない感じの彼を、どう料理して今までと違う彼を見せてくれるか、おおいに楽しみである。
全くやる気がない、言いたい事がある時だけ、好きな事書いて終わりの私のブログをのぞきに来てくださった方、本当にありがとうございます。
もし、最近の作品で、濃密な人間ドラマが見れる映画やTVドラマがあったら、教えて下さい。
米国ドラマ『シェイムレス』 のような。
(1月15日~WOWOWにてシーズン8放送)