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『僕らはみんな生きている』 滝田・一色コンビの傑作コメディ

  

僕らはみんな生きている

NHKBSで再放送中の大河ドラマ太平記

(1991年1月6日~12月8日放映)

をちらっと観てみたら、

真田広之さんの、

端正で爽やかで、繊細な武者ぶりに、改めて惚れ惚れしたので、

コロナで仕事もなくなったしと、彼のフィルモグラフィーを辿って

みた。

そしたら、必然的に1990年代の滝田洋二郎監督・一色伸幸脚本の

コメディ群の再視聴になり、何度も声をあげて笑ったり、

色んな要素が私のどストライクだった。

こうなると、作文大好きな私が感想を言わずに黙ってるなんてできない。

20年前の邦画コメディについて語った所で、どれだけ、アクセスがあるか、

覗いてもらえるか、ほぼ期待はできない。

けど、もし、『コンフィデンスマンJP』の騒がしさやお洒落さについていけない私のような人がいたら、

風刺たっぷり、人間臭さたっぷりの一色・滝田ワールドを覗いてみてください。

 

今まで、ブログで作品を採点する事はしませんでしたが、

20年前の作品が、2020年の価値観と今の黄昏の50代の私から見て

どれぐらい、傑作と思えるかを表す為に採点式にしました。

ネタバレありの感想です。 

 

第1弾に選んだのは、

『僕らはみんな生きている』

  1993年3月13日公開

  監督:滝田洋二郎

       (当時38歳)

  原作、脚本:一色伸幸

       (当時33歳)

採点:4・5点(5点満点中)

  あらすじ

 商社マンで技術者の高橋は橋建設プロジェクト売り込みのため東南アジアのタルキスタンに出張する。自社の駐在員中井戸やライバル社の富田らと共に軍事政権の最高指導者カッツ大佐の主催するパーティーに出席している最中、軍事クーデターが発生する。激しい市街戦が行われる首都に取り残された高橋ら4人は、ジャングルを抜けて空港に向かおうとするが、途中中井戸がゲリラ軍に捕らわれてしまう。

   出典:ウイキペディア

 

 

『僕らはみんな生きている』というのは、やなせたかしさん作詞のあの有名な歌

『手のひらを太陽に』

の歌いだしの歌詞である。

ゲリラ軍に捕らわれてしまった中井戸さん(山崎努 撮影時55歳)

を他の3人のジャパニーズビジネスマン、高橋君(真田広之 撮影時31歳)、

富田さん(岸部一徳 撮影時45歳)、升本さん(嶋田久作 撮影時37歳)が

助けに行く時、ゲリラ軍の基地に入る前に、敵と思われてゲリラ軍から撃たれないよう、自分達は平和的な非戦闘員です、

というのを強調する為に、大の大人の男3人が、

この歌を小学生みたいに合唱しながら基地に入っていくのだ。

 

この作品は皮肉に満ちている。

空港に向かうつもりだったジャパニーズビジネスマン4人が、あやまって

市街戦真っただ中の街に入ってしまった時に、現地語の通訳係でタルキスタンの情報に一番詳しい升本さんの

「市民は傷つけないのが、世界の市街戦のルールだ」

というアドバイスに従って、

富田さんは、日本のパスポートを、高橋君は名刺を3枚出して、上に掲げ、

4人で、升本さんに教わった現地語で

「私達は日本のサラリーマンです」

と叫びながら、隠れていたとこから立ち上がると、

銃撃戦がやむ。

その停戦になってしーんとした中を、スーツ姿の4人の

ジャパニーズビジネスマン達が、銃を構えている戦闘員達に、

「ご苦労様です」

とか

「こんにちわ」

等と頭を下げながら通過していくのだ。

ここの画の滑稽さは天下一品で、「私達は日本人です」だけでいいだろうに、と思うし、

高橋君が名刺を現地の人に見せて歩くのも、

発展途上国の現地の人に、名刺なんて何の意味もなさないのが分かんないのか?と、

何てバカなんだろうと、可哀そうになるぐらいアイロニーに満ちている。

又、高橋君を演じる真田さんの演技が、本当に滑稽で、二枚目なのに

そういう役を喜々と演じる俳優さんだから、この先、ずっと日本映画の

中心にい続けられたんだと思う。

 

ラスト近くで、このジャパニーズビジネスマン達が、ゲリラ軍に対して、

命がけの商談に挑むシーン。

途中で高橋君が切れて、ゲリラ軍にくってかかってしまうのだけど、

最初は、切れて、ジャパニーズビジネスマンの矜持と悲哀をぶちまける役は、

おじさん年齢の、サラリーマン歴の長い富田さんあたりがやった方が説得力があるのではないか、と思ったが、

そうすると、

この作品がただのサラリーマン哀歌で終わってしまってたような気がする。

若くて、まだサラリーマンの悲哀をどっぷり帯びてない高橋君が、現地の人への差別用語を連発しながら、

日本のサラリーマンの価値観をぶちまける展開。

「勝手に殺しあえよ」

「政府もゲリラも関係ねぇんだよ」

「金があるやつが神様だ」

「メード・イン・ジャパンだ」

と、つばを飛ばしながら、怒涛のように、まくしたてる。

この展開こそが、この作品の毒を表してると思う。

その毒とは、

日本国外で内戦がおきてようが、

世界が平和じゃなかろうが、

自分達ジャパニーズビジネスマンには、仕事が全て、もうけが全て、

そんな風にしか生きられないんだよ!

みたいな……

 高橋君がぶちまけるヤケクソの人生観。

仕事の為に家庭を失った中井戸さん

の表情にかぶる関白宣言の歌詞

「忘れてくれるな

 仕事もできない男に

 家庭を守れるはずなどないって事を」

 引用元:EPレコード『関白宣言』

     作詞、作曲:さだまさし

ゲラゲラ笑ってるだけで終わらないこの哀しさ。 

エコノミックアニマルと言われた日本の熾烈な経済発展への風刺と、それを支えていたサラリーマンの悲哀。

+もうけ至上主義の日本や他の先進国の企業が見て見ぬふりをしてる発展途上国の政府の腐敗。

それを皮肉たっぷりに、人間臭く描いた、

滝田・一色コンビのコメディの最高傑作だと思う。

 

ちなみに、真偽の程は、定かではありませんが、

この作品のロケは、当時、政情不安のタイで行われ

そこで、撮影中に、製作資金がなくなってしまったり、

小林プロデューサーが、タイ人の女と勝手に東京へ帰ってしまったり、トラブルだらけで撮影中止も検討されたハチャメチャな現場だった、という話をどこかで読んだ事があります。

 

真田広之も、この時のロケについて

 「生きて帰れた暁には、って状況にありましたから」

  出典:キネマ旬報 1994年2   月下旬号

と言っている。

生きて帰れた暁には?ってどれだけ、ひどかったのだろう?

その恐怖が4人の俳優達の表情にリアリティを与えていたようにも思える。

とりわけ、この作品中の真田さんの顔が、頬の肉がごっそり落ちて、胸板もかなり薄くなっているのを見ると、ほんとに毎日、不安で一杯だったのじゃないかと思う。

 

私が真田広之が好きな理由は、二枚目なのに、カメレオン俳優だからで、

この滝田・一色コンビのコメディに連続して出てた時期だけでも、

同作品群での巻き込まれ型二枚目半、

正統派時代劇での重厚な武者役、

純愛ドラマの繊細な青年役等を

別人のように演じきっている。

その中でも、この作品でのカメレオンぶりは、神がかっていたと思う。

 

よく、男優、女優さんの演技が真にせまっていて、凄みがあると、

憑依型だとか、狂気をはらんでいる等と表現されるけど、

前述した、ラスト近くで、ゲリラ軍のリーダーに切れて、

くってかかってた時の彼はまさにそうだった。

 

彼が22歳の時からのファンで、それ以降の彼の映画はほとんど観ているが、

多くの人に称賛されて、国内の賞をそうなめした映画より、誰もが知る

人気ドラマの彼より、どの作品の

真田さんより、この作品の真田さんが好きだ。

 

しかし、今の若い人には、この作品での彼の凄さが、

オーバーアクション過ぎ、とか下手とかに映るらしく、

Filmarksという映画レビューサイトで、

{学芸会のような演技に驚いた}

と書かれているレビューに、いいね!が57個もついていた。

でも、この作品での演技で、

キネマ旬報という雑誌が開催している映画評論家達によって選ばれる賞で、

1993年度の主演男優賞を獲っているから、1990年代のコメディ

はこういう演技が大正解だったのだよ、若い子よ!

今の若い子の文化についていけない私にとっては、2020年の今も大正解だし。