『眠らない街 新宿鮫』滝田洋二郎と真田広之
出典:amazon.co.jp
1993年10月9日公開
監督:滝田洋二郎
(当時38歳)
脚本:荒井晴彦
(当時46歳)
採点:不可能
※ ネタバレあり
※この作品の真田広之がいかに色気があるかを書いてたんですが、後半になると、
今の日本映画の製作システムへの文句や『砂の器』についてのレビューが出てきて、話が脱線するので、ウザイ方は後半は飛ばして下さい。
あらすじ
“鮫”の仇名を持ち、暴力団からも警察内部からも恐れられている新宿署防犯課の警部・鮫島は、改造銃のスペシャリスト木津要を単独で追っていた。折しも、木津が作った銃によって警官二人が殺され、特捜部が開設される。警視庁からやって来た公安一課の香田警視と鮫島は因縁の仲で、互いに敵視しあっていた。四面楚歌の状況の中で鮫島の心を唯一癒してくれたのはロックバンド“フーズ・ハニイ”のボーカル・晶だった。ある日、鮫島はとうとう木津の居所を探しあてる。そして彼の仕事場も突き止め、踏み込むが、逆に木津に捕まってしまう。『おまえとたっぷり楽しんで、それから殺す』――その時、絶体絶命の鮫島を助け木津を射殺したのは、桃井課長だった。木津の最後の発言から、改造銃は彼の恋人カズオの手に渡り、またそこから砂上という青年に渡ったことが判明する。砂上は以前サミット開催による厳重警戒で警官が多数出動しているにもかかわらず、歌舞伎町でヤクザにリンチされたことを恨んでいたのだ。今度は遂にその三人のヤクザが射ち殺された。特捜部は砂上がアイドル歌手・松樹由利のコンサート会場で心中するものと考え会場のシアターアプルに向かうが、鮫島はただ一人、彼が晶のバンドのファンであることを突きとめ、ライブハウスへと向かう。まさに砂上が晶とともに心中しようとした時、鮫島は彼を倒し、晶を助けるのだった。
出典:映画.com
滝田、一色コンビのコメディではないですが、滝田監督の偉大なお仕事として、語らずにいられないので。
この作品は、滝田監督が真田広之ファンの為に作ってくれた作品です。
と、言いたくなる位、真田広之の男の色気に目が釘付けになってしまい、内容が冷静に鑑賞できません。
真田さんは、1990年代、滝田監督と4本映画を撮ってますが、
どういう訳だか、その4本の中の真田さんとその他の映画、TVドラマの中の真田さんの美しさが違うのです。
滝田監督の撮る真田さんは、いつも、色気があるのです。
この作品の約半年前公開された『僕らはみんな生きている』でも、
ジャングルをさまよって、全身小汚くなっている真田さん演じる高橋君に、どういう訳か爽やかな若者の色気がただよってるのです。
『病院へ行こう』シリーズでも、
1作目の真田さんは、非常にキュートに、にぎやかに、表情豊かに、
2作目では、やり手すぎる病院の後継者の長男をクールに押さえた演技で演じてるんですが、
どちらも、画面の中で妙に目立ちます。
滝田監督が、というより、これらの作品での撮影監督の浜田毅さん(監督より8歳年上)のセンスなのかもしれませんが。
どう撮ったら、その人独特の魅力がにじみ出て見えるかを熟知している
監督(又は撮影監督)と俳優のコンビなんでしょうね。(滝田監督とベンガルさんの関係も)
又、滝田監督(又は浜田毅さんの技術かもしれないけど)は、
『病院へ行こう』シリーズでも、『秘密』(1999年公開)や
『おくりびと』(2008年)でも、
女優さん達を可愛くて、爽やかな色気が漂うように撮っていたから、ピンク映画を撮っていた経験から、人を色っぽく撮るのはお手のものなのかも。
そして、おじさんを撮る時の渋みとそこはかとない哀しさを足すのも上手ですね、この『新宿鮫』の鮫の上司、桃井課長(室田日出男さん 当事56歳) も、普通にしゃべってピストルで撃っただけなのに、見終わった後、忘れられないですし、
『僕らはみんな生きている』や『おくりびと』の山崎努さんも、存在感が半端ないです。
俳優さん、女優さん独自の魅力を最大限に引き出して見せる技の高さが滝田監督の一番の才能という気がします。
また、違う分野や無名の人材の中からどんぴしゃのキャストを呼んでくるんですよね、『陰陽師』(2001年公開)の野村萬斎さん……あ、この野村萬斎さんは、原作者の要望でしたが、
『お受験』(1999年公開)の 大平奈津美ちゃんとか。
というわけで、滝田組の映画では、常に色気がある真田さんですが、
今回、再視聴した新宿鮫の彼は、ただ、画面の中で、喋っているだけなのに色気がありすぎて、観てるこっちが恥ずかしくなってしまうような状態なのです。
前観た時は、これほどとは感じなかったので、年取って、エロい物に遭遇しなくなり、エロい物への免疫がなくなったのでしょう。
ゲイの木津の手がかりを得る為に、ゲイのはってん場へ行った鮫が、
半裸で歩き回って、ゲイ達につばごっくんさせるシーンでさえ、正視
できないレベルですが、
さらに、奥田瑛二さん(当時43歳)扮する木津に、上半身裸で縛られてる所を、目で犯され、キスされて、というシーンがあって、
奥田さんも妖艶な為、もう、ここの時間はエロビデオと言われても、おかしくないクオリティーになってます。
ちなみに、このシーンでのキスは、奥田さんのアドリブだったそうです、恐るべし、奥田瑛二!
このように私には、真田さんの色気を目に焼き付けるだけで終わってしまう作品なんですが、世間的な評価としては、興行成績は振るわなかったそうです。
1歳の子の子育てで忙しかった私も、映画館まで観に行こうとは思いませんでした。
真田広之のファンと大沢在昌さんの小説のファンが観たいと思うだけの内容の薄い、地味な作品だと思われたからなのか、映画館へ行く暇もなかったから、この映画の世間の評価を気にする余裕もなかったので、当事どんな風に言われてたのかさっぱりわかりませんが、
作品としての評価は以外と高くて、キネマ旬報の1993年度読者選出日本映画の第9位に入っているのです。
滝田監督の90年代のヒット作、
『病院へ行こう』(1990年公開)
も、1990年の読者選出日本映画9位となってる事を考えると、この順位は、かなり好かれた証拠と言えると思います。
又、真田さんのルックスが原作の鮫のイメージと全然ちがうにもかかわらず原作のファンにも、好まれていて、
大沢在昌さんの所へ
「真田さんの新宿鮫が好き」というファンレターがよく来るので、大沢さんが、フジTVに掛け合ってくれて、2018年にやっとDVD化が実現したそうです。
でも、その陰には、原作で設定された鮫のビジュアルと違う真田さんが
演じた、この『新宿鮫』は嫌だ!という原作ファンも結構いるのでは、と思います。
そういう事も集客に影響したのかも、と。
もうすぐ公開される
180㎝位の高身長で、女形のような美丈夫だった、と史料や現存する写真から認知されていて、小説のファンも、ご本人自身のファンも、そういうイメージで好きでいる土方歳三を、背も低く、野性的で男らしい顔の岡田准一さんが演じた事で、
小説『燃えよ剣』の大ファンの私は、悔しいし、悲しいし、あんな映画許さないから!と思ってしまっています。
公開されたら、ジャニーズファンの組織票が集客力になって、結果的に
興行は成功となっちゃうでしょうし、
『新宿鮫』の真田さんのように、原作ファンから
「いいじゃん、原作のイメージに合ってるじゃん」
と見直される可能性もあるとは思いますが……
まあ、今や、ジャニーズのお抱え監督になってしまった感じの原田監督は時代劇作るの、下手だなあ、と思うので、そう上手くはいかないと思います。
真田さんも、1989年に、TVの時代劇で、高身長だったと(今に換算すると、190㎝位)認知されている坂本竜馬の役をやってて、ファンの私でもミスキャストだろう、と思うので、竜馬ファンの方は嫌だったのでは、と思います。
でも、それでも、原作がなかったので、良かった。
『竜馬がゆく』のファンの人も、はらわたが煮えくりかえるところまではいかなかったのでは、と思います。
『燃えよ剣』を実写化するなら、
15年前にこの人(当時29歳)でやってほしかったです。
でも、山本耕史さん、
「三谷幸喜の書く土方以外は演じない」
と公言してたし、
今の邦画界では、大手芸能事務所に入ってないと、大型商業映画の主演は無理だと言われてて、彼は個人事務所(自分の)だから、実現不可能でしたけど。
それを考えると、同じように自分の設立した個人事務所所属で、あれ程の数の作品に主演した真田広之は凄いなぁ。
これって、真田さんという俳優が慣例も破る程、特別に業界人に好かれたからなのか、
1980年、90年代は、今みたいに、TVドラマや映画のキャステイングが、大手芸能事務所に支配されてなかったからなのか、
どちらなのか分かりませんが、
少なくとも、2000年以前は、プロデューサー、監督、脚本家達が集まってフジTVと作った会社、メリエスみたいのもあって、
映画業界人達が、興行成績を今程心配しないで、自分達の使いたい俳優を使って、本当に作りたい作品を作っていたように思います 。
室田日出男さんも1978年に覚せい剤不法所持容疑で、逮捕されてるけど、すぐ2年後の1980年には、『影武者』など、商業作品にカムバックしてます。
今の、モラルや人権問題に抵触する事は絶対に避けないといけない、という風潮は映画のような芸術制作にとって、敵だと思います。
生々しい人間らしさが大好物の私にとって、邦画コメディの最高傑作の
『僕らはみんな生きている』
(1993年公開)
を、もし、今作ったら、使っちゃいけない言葉や、好感度を下げるようなイヤらしいシーンを全部削る事になって、毒にも薬にもならないつまんない駄作になっていたでしょう。
松本清張原作映画の最高傑作と評価されてる『砂の器』(1974年公開、監督、野村芳太郎、脚本、橋本忍、山田洋次)は、
主人公の実父が、(伝染すると誤解されていた)ハンセン氏病だったために、親子が差別されて過酷な目にあい、子どものその後の人生も、ハンセン氏病という病気を世間に隠さねばならなかった為に、結果的に破滅の道をたどる。そこが、一番の号泣のポイントで、親子二人が、人々から忌み嫌われて、四季折々の日本の風景の中を、ボロをまといながら放浪するシーンなんて、日本映画の名シーン中の名シーンだと思うのですが、映画製作にあたって、やはりハンセン氏病患者協議会から、製作を反対されたそうです。でも、そこで粘りたおして、逆に、「偏見を打破するために」と説得して、この名作が作られたそうです。
これが、TVドラマになった時、7回ドラマ化されてるそうですが、全て、ハンセン氏病患者という設定が消されて、どこの団体からも、苦情が来ないような、別の病気や事情に変えられたそうです。
今は、ドラマじゃなくても、映画制作でも、このポリシーですよね。
だから、韓国映画にどんどん差をつけられるんだよと、思ってる人は少なくないと思いますが……
昔の日本映画は良かったなぁとつくづく思います。