映画についてのよけいな事 

練りきり作りましょう!

『お受験』うつを克服した人に容赦ないバカの私

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出典: 映画.com

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1999年7月3日公開

監督:滝田洋二郎(当時43歳)

脚本:一色伸幸(当時39歳) 

あらすじ 

 富樫真澄は、実業団の陸上競技部に所属する長距離ランナー。かつては花形選手だったが、45歳となり既に全盛期を超えていた。妻の利恵はそんな真澄の事は気にも留めず、気になる事と言えば一人娘の真結美のお受験の事ばかり。そんな真澄に子会社への出向話が舞い込む。喜んで出向に応じるが、直後に会社は債務を子会社に押し付け子会社は倒産、真澄は責任を取らされる形でクビになることに。出向話そのものがリストラであったことに気付かされる。その後、父親が無職ではお受験にも合格できないということで、しばらく利恵が働くこととなり、真澄は実業団ランナーとしての原点だった湘南マラソンを最後のレースにしようと決め、専業主夫として家事をこなしながら練習を重ねた。ところが湘南マラソンの日はまさに真結美のお受験当日。それでも真澄はレースに出るのだが…

出典:ウイキペディア 

採点:3点(5点満点中) 

 

主人公

矢沢永吉さん 当時49歳)

(田中裕子さん 当時44歳)

大平奈津美  ちゃん 当時8  歳)   

この3人がとっても、魅力的です。矢沢さんは、本業じゃないのに、及第点の演技してるし、田中裕子さんも今と変わらず、上手いし、そして、この役は、娘が、6歳という設定なので、母親は30代だよね、と思って観てるのですが、ちゃんと30代に見えるのです。撮影時、43か44歳だったわけですが、、皺がぜんぜんなくて、バケモノだわー!と(普通は「美魔女ですね!」と素直にほめるんでしょうが)。

そして、娘役の大平奈津美ちゃん、この作品の成功は、この子のキャスティングにあったんじゃないだろうか?と思う位、魅力的です。

商業映画の準主役なんだから、顔が可愛いのは当たり前です。

一色伸幸さんが作る話だから、その可愛いを凌駕する物がないとダメですが、あります、本当の子どもらしさです。大人にとっては都合の悪いおかしな事も、言ったり、やったりする本当の6歳の女の子を見れます。

6歳の女の子としての親への反抗心もあり、世の中のおかしな事に疑問を持つような利発さもあり、好きな男の子(デブで、ちょっとトロイ子なのですが)を苛めるひねくれ者です。

90年代前半の、滝田、一色コンビのコメディは、声を上げて大笑いするようなタイプの゛動゛な感じでしたが、この作品は、コメディと、銘打っていますが、大笑いさせてはくれないです。

THEハートウォーミング作品というのを狙って作ったような感じです。

一色伸幸さんは、1993年~94年にうつ病にかかったそうです。

その5年後公開のこの作品の脚本に、

その経験からくる人生観が 関係してるかどうかは分からないです。

でも、何か、丸くなっちゃったな、毒はどこへいったんだろうなぁ、と感じました。

 一色伸幸さんの脚本の真骨頂である風刺は たっぷりです。 お受験に関わる人々、とりわけ、お受験 の塾の講師達の片寄った物の見方の描写とか。

お受験に関わるおかしな風潮や世の中の不自然な事にたいする疑問も提示され、批判精神も、健在です。

でも、90年代前半の、このコンビの作品の、世間体を気にしない不真面目さというか、「好きな人だけ、楽しんでくれれば、いいんだ」みたいな牙のような物が抜かれてまったように感じます。

途中で、主人公にとって、家族と同じ重さで大事な湘南マラソンの日と、娘の第一志望の小学校の面接日が重なってしまう事が判明し、面接には、両親揃って出席しないと、それだけで、大きなマイナスイメージになってしまう。

ここで、主人公がどっちに行くかで葛藤する、人間ドラマとして、も盛り上がる流れになるはずでした。

主人公が苦悩しながらも、どっちかを選んだのだったら、私は、爽快だな!と感動したと思いますが、彼は中途半端に、両方取ろうとするのです。

だから、ラストは、中途半端なハッピーエンドです(と私は思う)

むりやり、ハッピーエンドにしたかのようです。

こういう風に感じるのは、牙を抜かれて、角も綺麗に取れてしまったからなのかな?

と、感じてしまいます。

 私は、挫折ばかりの人生のせいで、順風満帆な人や、何でも手に入れた人 にどうしても共感できない、ひねくれ者なので、主人公が何かを失い、何かを得た、という話が好きなんだと思います。  

または、主人公が、数々の苦労を乗り越え、努力した結果、最後に目標が実る、というのが。    

なので、この作品の 主人公なら、子どもの為に自分の一大事を諦めるか、又は妻、子どもに嫌われてもいいから、自分を貫くかのどっちかを選ぶという辛い選択を実行して、もし、マラソンを取っても、そういう主人公を、受験小学校の面接官が、「一本筋が通っていていいですね」と気にいってくれて、面接に合格する、という話なら、この作品好きになれたと思います。

とは言え、リストラされた夫の事を、絶望して、責めたり、嫌ったりせずに、さばさばと、「自分が働きに出る」と、行動して、専業主婦だった時より生き生きしだす妻や、

(でも、やはり現実は厳しく、能力不足で挫折しますが)

塾をサボった娘が、

「先生が言ってた、秘密はいけないのよねぇ」

と、叱られるのを覚悟で告白すると

「秘密が100個になった頃、素敵な大人になってる」

と言う父親など、相変わらず、ま反対の角度からの人間造形を見せてくれるセンスに脱帽です。

又、うつ病を克服して、製作現場に戻ってこれて、精力的に執筆された事、本当に立派だと思います。

2009年の救命病棟24時(フジTV)の、何作かの脚本執筆されたと、ウイキに書いてありました。

コメディ色ゼロのあのドラマをどういう風に書いたのか、見てみたいですが、

2013年に、NHKで放映された『ラジオ』を観ようと、DVDを買ったので、まずは、それを真面目に鑑賞しようと思います。

 

『眠らない街 新宿鮫』滝田洋二郎と真田広之

出典:amazon.co.jp

 

1993年10月9日公開

監督:滝田洋二郎

   (当時38歳)

脚本:荒井晴彦

   (当時46歳)

  

採点:不可能

 

※ ネタバレあり

※この作品の真田広之がいかに色気があるかを書いてたんですが、後半になると、

 今の日本映画の製作システムへの文句や砂の器についてのレビューが出てきて、話が脱線するので、ウザイ方は後半は飛ばして下さい。  

 

あらすじ

“鮫”の仇名を持ち、暴力団からも警察内部からも恐れられている新宿署防犯課の警部・鮫島は、改造銃のスペシャリスト木津要を単独で追っていた。折しも、木津が作った銃によって警官二人が殺され、特捜部が開設される。警視庁からやって来た公安一課の香田警視と鮫島は因縁の仲で、互いに敵視しあっていた。四面楚歌の状況の中で鮫島の心を唯一癒してくれたのはロックバンド“フーズ・ハニイ”のボーカル・晶だった。ある日、鮫島はとうとう木津の居所を探しあてる。そして彼の仕事場も突き止め、踏み込むが、逆に木津に捕まってしまう。『おまえとたっぷり楽しんで、それから殺す』――その時、絶体絶命の鮫島を助け木津を射殺したのは、桃井課長だった。木津の最後の発言から、改造銃は彼の恋人カズオの手に渡り、またそこから砂上という青年に渡ったことが判明する。砂上は以前サミット開催による厳重警戒で警官が多数出動しているにもかかわらず、歌舞伎町でヤクザにリンチされたことを恨んでいたのだ。今度は遂にその三人のヤクザが射ち殺された。特捜部は砂上がアイドル歌手・松樹由利のコンサート会場で心中するものと考え会場のシアターアプルに向かうが、鮫島はただ一人、彼が晶のバンドのファンであることを突きとめ、ライブハウスへと向かう。まさに砂上が晶とともに心中しようとした時、鮫島は彼を倒し、晶を助けるのだった。

出典:映画.com

 

滝田、一色コンビのコメディではないですが、滝田監督の偉大なお仕事として、語らずにいられないので。

 

この作品は、滝田監督が真田広之ファンの為に作ってくれた作品です。

と、言いたくなる位、真田広之の男の色気に目が釘付けになってしまい、内容が冷静に鑑賞できません。

真田さんは、1990年代、滝田監督と4本映画を撮ってますが、

どういう訳だか、その4本の中の真田さんとその他の映画、TVドラマの中の真田さんの美しさが違うのです。

滝田監督の撮る真田さんは、いつも、色気があるのです。

この作品の約半年前公開された『僕らはみんな生きている』でも、

ジャングルをさまよって、全身小汚くなっている真田さん演じる高橋君に、どういう訳か爽やかな若者の色気がただよってるのです。

『病院へ行こう』シリーズでも、

1作目の真田さんは、非常にキュートに、にぎやかに、表情豊かに、

2作目では、やり手すぎる病院の後継者の長男をクールに押さえた演技で演じてるんですが、

どちらも、画面の中で妙に目立ちます。

滝田監督が、というより、これらの作品での撮影監督の浜田毅さん(監督より8歳年上)のセンスなのかもしれませんが。

どう撮ったら、その人独特の魅力がにじみ出て見えるかを熟知している

監督(又は撮影監督)と俳優のコンビなんでしょうね。(滝田監督とベンガルさんの関係も)

又、滝田監督(又は浜田毅さんの技術かもしれないけど)は、

『病院へ行こう』シリーズでも、『秘密』(1999年公開)や

おくりびと(2008年)でも、

女優さん達を可愛くて、爽やかな色気が漂うように撮っていたから、ピンク映画を撮っていた経験から、人を色っぽく撮るのはお手のものなのかも。

そして、おじさんを撮る時の渋みとそこはかとない哀しさを足すのも上手ですね、この『新宿鮫』の鮫の上司、桃井課長(室田日出男さん 当事56歳) も、普通にしゃべってピストルで撃っただけなのに、見終わった後、忘れられないですし、

『僕らはみんな生きている』おくりびと山崎努さんも、存在感が半端ないです。

俳優さん、女優さん独自の魅力を最大限に引き出して見せる技の高さが滝田監督の一番の才能という気がします。

また、違う分野や無名の人材の中からどんぴしゃのキャストを呼んでくるんですよね、陰陽師(2001年公開)野村萬斎さん……あ、この野村萬斎さんは、原作者の要望でしたが、

『お受験』(1999年公開)大平奈津美ちゃんとか。

というわけで、滝田組の映画では、常に色気がある真田さんですが、

今回、再視聴した新宿鮫の彼は、ただ、画面の中で、喋っているだけなのに色気がありすぎて、観てるこっちが恥ずかしくなってしまうような状態なのです。

前観た時は、これほどとは感じなかったので、年取って、エロい物に遭遇しなくなり、エロい物への免疫がなくなったのでしょう。

ゲイの木津の手がかりを得る為に、ゲイのはってん場へ行った鮫が、

半裸で歩き回って、ゲイ達につばごっくんさせるシーンでさえ、正視

できないレベルですが、

さらに、奥田瑛二さん(当時43歳)扮する木津に、上半身裸で縛られてる所を、目で犯され、キスされて、というシーンがあって、

奥田さんも妖艶な為、もう、ここの時間はエロビデオと言われても、おかしくないクオリティーになってます。   

ちなみに、このシーンでのキスは、奥田さんのアドリブだったそうです、恐るべし、奥田瑛二

 

このように私には、真田さんの色気を目に焼き付けるだけで終わってしまう作品なんですが、世間的な評価としては、興行成績は振るわなかったそうです。

1歳の子の子育てで忙しかった私も、映画館まで観に行こうとは思いませんでした。

真田広之のファンと大沢在昌さんの小説のファンが観たいと思うだけの内容の薄い、地味な作品だと思われたからなのか、映画館へ行く暇もなかったから、この映画の世間の評価を気にする余裕もなかったので、当事どんな風に言われてたのかさっぱりわかりませんが、

作品としての評価は以外と高くて、キネマ旬報の1993年度読者選出日本映画の第9位に入っているのです。

滝田監督の90年代のヒット作、

『病院へ行こう』(1990年公開)

も、1990年の読者選出日本映画9位となってる事を考えると、この順位は、かなり好かれた証拠と言えると思います。

又、真田さんのルックスが原作の鮫のイメージと全然ちがうにもかかわらず原作のファンにも、好まれていて、

大沢在昌さんの所へ

「真田さんの新宿鮫が好き」というファンレターがよく来るので、大沢さんが、フジTVに掛け合ってくれて、2018年にやっとDVD化が実現したそうです。

でも、その陰には、原作で設定された鮫のビジュアルと違う真田さんが

演じた、この新宿鮫は嫌だ!という原作ファンも結構いるのでは、と思います。

そういう事も集客に影響したのかも、と。

 

もうすぐ公開される

原田眞人監督の燃えよ剣も、

180㎝位の高身長で、女形のような美丈夫だった、と史料や現存する写真から認知されていて、小説のファンも、ご本人自身のファンも、そういうイメージで好きでいる土方歳三を、背も低く、野性的で男らしい顔の岡田准一さんが演じた事で、

小説燃えよ剣の大ファンの私は、悔しいし、悲しいし、あんな映画許さないから!と思ってしまっています。

公開されたら、ジャニーズファンの組織票が集客力になって、結果的に

興行は成功となっちゃうでしょうし、

新宿鮫の真田さんのように、原作ファンから

「いいじゃん、原作のイメージに合ってるじゃん」

と見直される可能性もあるとは思いますが……

まあ、今や、ジャニーズのお抱え監督になってしまった感じの原田監督は時代劇作るの、下手だなあ、と思うので、そう上手くはいかないと思います。

真田さんも、1989年に、TVの時代劇で、高身長だったと(今に換算すると、190㎝位)認知されている坂本竜馬の役をやってて、ファンの私でもミスキャストだろう、と思うので、竜馬ファンの方は嫌だったのでは、と思います。

でも、それでも、原作がなかったので、良かった。

竜馬がゆくのファンの人も、はらわたが煮えくりかえるところまではいかなかったのでは、と思います。

 

 

 

出典:http://bakumatsu.org

 

燃えよ剣を実写化するなら、

15年前にこの人(当時29歳)でやってほしかったです。

でも、山本耕史さん、

三谷幸喜の書く土方以外は演じない」

と公言してたし、

今の邦画界では、大手芸能事務所に入ってないと、大型商業映画の主演は無理だと言われてて、彼は個人事務所(自分の)だから、実現不可能でしたけど。

それを考えると、同じように自分の設立した個人事務所所属で、あれ程の数の作品に主演した真田広之は凄いなぁ。

これって、真田さんという俳優が慣例も破る程、特別に業界人に好かれたからなのか、

1980年、90年代は、今みたいに、TVドラマや映画のキャステイングが、大手芸能事務所に支配されてなかったからなのか、

どちらなのか分かりませんが、

少なくとも、2000年以前は、プロデューサー、監督、脚本家達が集まってフジTVと作った会社、メリエスみたいのもあって、

映画業界人達が、興行成績を今程心配しないで、自分達の使いたい俳優を使って、本当に作りたい作品を作っていたように思います 。

室田日出男さんも1978年に覚せい剤不法所持容疑で、逮捕されてるけど、すぐ2年後の1980年には、『影武者』など、商業作品にカムバックしてます。

今の、モラルや人権問題に抵触する事は絶対に避けないといけない、という風潮は映画のような芸術制作にとって、敵だと思います。

 

生々しい人間らしさが大好物の私にとって、邦画コメディの最高傑作の

『僕らはみんな生きている』

(1993年公開)

を、もし、今作ったら、使っちゃいけない言葉や、好感度を下げるようなイヤらしいシーンを全部削る事になって、毒にも薬にもならないつまんない駄作になっていたでしょう。

 

松本清張原作映画の最高傑作と評価されてる砂の器(1974年公開、監督、野村芳太郎、脚本、橋本忍山田洋次)は、

主人公の実父が、(伝染すると誤解されていた)ハンセン氏病だったために、親子が差別されて過酷な目にあい、子どものその後の人生も、ハンセン氏病という病気を世間に隠さねばならなかった為に、結果的に破滅の道をたどる。そこが、一番の号泣のポイントで、親子二人が、人々から忌み嫌われて、四季折々の日本の風景の中を、ボロをまといながら放浪するシーンなんて、日本映画の名シーン中の名シーンだと思うのですが、映画製作にあたって、やはりハンセン氏病患者協議会から、製作を反対されたそうです。でも、そこで粘りたおして、逆に、「偏見を打破するために」と説得して、この名作が作られたそうです。

これが、TVドラマになった時、7回ドラマ化されてるそうですが、全て、ハンセン氏病患者という設定が消されて、どこの団体からも、苦情が来ないような、別の病気や事情に変えられたそうです。

今は、ドラマじゃなくても、映画制作でも、このポリシーですよね。

だから、韓国映画にどんどん差をつけられるんだよと、思ってる人は少なくないと思いますが……

 昔の日本映画は良かったなぁとつくづく思います。

 

 

『熱帯楽園倶楽部』尊敬してても、いちゃもんはつける

 ポスター画像

 出典:映画.com 

   1994年9月17日公開

   監督:滝田洋二郎

       (当時39歳)

   原案、脚本:一色伸幸

       (当時34歳)

 

※ネタバレあり

 

採点:3(5点満点中)

 

あらすじ 

旅行会社の添乗員・紺野みすずは15人のツアー客を引き連れてバンコクに向かうが、そこで日本人青年・飛田林始と、日本人とタイのハーフでカフェのオーナー・ジョイに出会う。彼らは日本人観光客相手のささやかな詐欺を楽しんでおり、みすずも騙されるが、あまりの見事さとしたたかさに逆に憧れを感じてしまう。ホテルのミスが元で全員のパスポートを失くしてしまい、会社から怒鳴り飛ばされた彼女は、後から発見されたパスポートを手にして飛田林とジョイの仲間入りをすることに。みすずにいいところを見せようと思った飛田林は、ジョイの反対にもかかわらず日本のヤクザに拳銃密売の詐欺を持ちかける。ジョイの助けもあって計画は成功し、まんまと300万円を手に入れた3人は超高級リゾートへ大名旅行を楽しむ。みすずは飛田林の気持ちを知りながらもジョイに惹かれ、ジョイと一夜を共にした。バンコクへ戻ってきた3人を待っていたのは、壊されたジョイのカフェと騙され激怒したヤクザ森と所だった。ジョイは2人を日本に帰らせ単身ヤクザに挑もうとする。だがみすずの発案によるニセ警察署作戦が見事に成功し、彼らはこの難局を乗り切った。しかし、もう昔の3人の共同生活に戻れないと気づいたみすずは、別れを決意し、1人タイを旅立つのだった 

 出典:映画.com

主役3人は、

   紺野みすず 清水美砂…現在は美沙に改名(当時24歳)

   ジョイ   風間杜夫

                         (当時45歳)

   飛田林始  萩原聖人

                          (当時23歳)

です。

そして、この3人に騙される間抜けなヤクザ2人を

   森     白竜

                           (当時42歳)

   所     高木尚三

                             (資料なし)

が、演ってます。

 

これはリアルタイムでは観てないので、配信で初視聴したのですが、

途中まで観て、思ったのは、滝田、一色コンビのコメディにしては、キャスト選択に手抜きしてない?という事です。

ジョイの風間さんは、魅力あります。

タイ人と日本人のハーフゆえに、複雑な環境に育ってます。日本人の母親は、

「ここは暑くていや」という捨てセリフを残して、ジョイを置いて、日本に帰ってしまいました。

多分、そこから、悲喜こもごものいろんな体験をしてきたのだろうと思わせる、優しさとずぶとさと清濁合わせのむような包容力のある”おっさん”を生き生きと演じてます。

ミスキャストじゃない?と感じるのは、みすず演じる清水美砂さん。

このみすずは、元は、真面目で気弱なツアーコンダクターが、タイで、現地人のいいかげんさのせいで、仕事のミスの責任を取らされて、そこで、今まで我儘なツアー客のご機嫌を取るために我慢に我慢を重ねてきた生活に嫌気がさし、やけになって、ジョイと飛田林の詐欺師コンビに仲間入りし、ディズニーランドにいるような刺激を経験して、輝きだす、という設定ですが、清水美砂さんて、24歳なのに、妙に落ち着いてる、というか、元からいろいろ経験あります、みたいなおばさんぽい雰囲気があるので、

真面目すぎる女性が詐欺の片棒を担ぐようになって、人生を謳歌するイケイケヒロインにがらっと変わる、というような変化があまり感じられないのです。

みすずは、仲間入りしてから、どんどん大胆になっていって、危なげな事も、楽しんでやるようになる、という設定で、それがこのコメディの痛快さを表現する大切な部分だと思うので、そこは、この人の変化をダイナミックに見せて欲しかったなぁと思いました。

萩原聖人君の飛田林君は、更に残念で、何の個性もないような、[とんだばやし]という苗字が、一番の個性と言ってもいいような影のうすい若者です。

異常に影の薄い若者というキャラクターにするなら、とことん影が薄くないと映えないと思うのですが、とことんではないので、つまらないです。

更に、日本から来たヤクザ二人も、いつもの滝田、一色コンビ作品恒例の、癖のある脇役じゃなくて、銃を撃った事もない、おぼこなお人よしヤクザという以外に強い個性もなく、あっさりしてましたが、これは、いつもと違って新鮮だと思えば気にはなりません。

ベンガルさんに、ヤクザやらせても、さすがに合わなかっただろうし、螢雪次朗さんはオカマの役じゃないと面白くないし。

その分、タイの人々が演じる脇役の逞しさとぎらぎら油ぎった感じとかが、タイが舞台のお話なんだなと趣があって良かったです。

天才脚本家の一色さんに、こんな失礼な事言っていいのか、と思いながら言いますが、

ヤクザをだましてもうけた大金で、3人がリゾートで大名暮らししてる部分はなくして、調子にのった3人が、次から次へと、詐欺で成功し、自分達に怖い物なんてないんだ、と高揚感、万能感で思いあがった後、ヤクザとの対峙があり、ラストの3人の解散という流れになるほうが、ラストでかわされる

「夏休みは終わったのよ」

っていうセリフが鮮やかになるような気がします。 

『病は気から 病院へ行こう2』死を扱った邦画の(自分的に)NO1.作品  

ちらし画像

出典:ピア映画生活 フォトギャラリー

 

※ネタバレあり

 

1992年 12月19日公開

監督:滝田洋二郎

          (当時38歳)            

原案、脚本:一色伸幸

   (当時32歳) 

 

あらすじ

美容師・安曇祐子(あずみ ゆうこ)は、酒を飲みすぎて病院に担ぎ込まれ、副院長・片倉一郎(かたくら いちろう)から胃潰瘍と診断された。しかし実際はスキルスといわれる末期の胃癌で、最も重症の部類に当たる病状と判明する。「少しでも長生きできるよう延命処置を取るべきだ」と主張する一郎。しかし弟であり同じく医師の片倉保(かたくら たもつ)は「患者に苦痛のないような死に方を理解し支えるのも医者の仕事」と考え、新設されたホスピス病棟の仕事に全力を傾け、意欲を燃やす。そんな中、うかつな保の言葉から自らの病気を知った祐子は、動揺を隠しきれず病院を抜け出そうとする。結局、祐子は保の勧めでホスピス病棟に入るが、自身の余命を逆手に取り、芸能活動を始める。

出典:ウイキペディア

採点:3点

(29歳の時に感 じた感想)

    ×

    28

(その後28年間を生 きて観た感想 )

 

   =84点

 

この作品、28年前観た時、自分は、全く、批判する気はおきなかったですが、

低評価だったようです。

その理由をわずかに残るレビューから推察すると、どうも

【病気や死をふざけたように扱っているから】

とか

【コメディのはずなのに暗い内容だから】

といった理由のせいみたいです。

そりゃあ、「ホスピタル・ラブ・コメディ」とか「恋に、手おくれはありません」

なんて、キャッチコピーで宣伝してたら、みんな能天気な、普通な

医者と患者のラブコメディだと勘違いするわなぁ……

所が、蓋をあけてみると、この話

、今よく作られる

「余命何ヵ月と診断された主人公が吹っ切れて、ぶっ飛んだ事や、やりたかった けど、いままで世間や家族や職場に遠慮してやれなかった事を実行する」

というヒューマンドラマなのだ。

それにしても、

今は、そういう話がちっとも批判されないのに、

1992年は何故それをやっちゃあいけなかったんだろう?

多分、保先生の兄、副院長の一郎先生のポリシー

[患者の命を一分一秒でも長らえさせるのが、最良の医療]

ていうのが、世論だったのだろう。

だから、治らない癌の患者でも、一分でも、長生きさせられるために、ベッドに縛り付けられ、副作用に苦しみながら、抗がん剤を投与され続ける事例の方が圧倒的に多かったのかなぁ……

ちなみに、この5年後、1997年に私の姑が肺癌で他界したのだけど、

最後の入院の時、もう、どんな治療も薬もない状態だと医者が言うので、私はそれなら、きっと家で死にたいに違いないと思い、

「連れて帰って家で看ます」

と言ったら、先生や看護婦さん達はその準備を始めてくれたけど、

姑本人が家に帰るのを拒否したので、私の価値観と違って、一分でも、長生きできるように設備の整った病院にいたい、と思ったのかもしれない。、その時期でも、やはり、病院で管に繋がれて死んでいくというのが、病人本人も、正解だと思う時代だったんだろう。

それとも、もしかすると、自分が家に帰ると、私や他の家族に迷惑かけると思ったのか……どっちなのかは、今はもう分からない。

私は、もう、治らないのなら、住み慣れた自宅で家族に囲まれて過ごしたい、とか、この作品の主人公のように、やりたかったけど、やらなかった事をたとえ、死期が少し早まってもやりとげたい、と思うタイプなので、28年前でもこの作品に少しも嫌悪感はなかったけれど、凄く感動したわけでもない。

このコメディ、逆転の発想で面白いな、程度の感想だった。

ところが、28年の月日を経た今、観ると、死が間近にあるというか、常に癌も、癌で死ぬ事も背中合わせだと感じる歳になったため、この作品の、ホスピスに入院していて、もうすぐ死ぬ人々の哀しさに共感してしまい、面白いセリフにゲラゲラ笑う余裕なんてない。

身につまされる気持ちで、画面をがん見し続けてしまった。

ホスピスの患者の、元から老い先短そうで、ほぼ寝たきりの超高齢のおじいさん、 柏木 さん(天本英世さん  当時 66 歳らしいが80歳位に見える)が

自分が癌で死ぬ事を初めて知ってしまった後、怖くて怖くて仕方なくて、保先生に

「抱いてくれませんか?」

「私を抱いて下さい」

と、不気味な表情をして懇願するシーンでは、涙腺が一気に決壊し、

 別のホスピス患者の  岩久保さんが、周りの人に迷惑かけることを平気でするので、さすがに保先生や看護婦さん達が 止めに行くと、

「火つけてやる、こわいものはねぇんだ、

てめえの首かっきって、看護婦みな強姦したって平気なんだよ、

裁判が始まる前に死ぬんだからな」

 

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

と保先生や看護婦に切れるシーンは、泣けない程辛い。

そうだよなぁ、もし、余命1カ月って言われたら、どんな悪い事して、世間に嫌われようが、全く気にならなくなっちゃうよなぁ……

可哀そうだなぁ……

これ、コメディじゃない、ヒューマンドラマじゃん!

と、いろんな箇所で鎮痛な気持ちになってしまう私。

 

末期癌で、ホスピスに入ってる人々の哀しさ、もう、一度は諦めたはずなのに、どうにかして治りたいと悪あがきし、生きたい、まだ死にたくないと神を恨む 人間らしさ。でも、訪れる過酷な現実。

それを、全くお涙ちょうだいムードなく、淡々と、時々、クスッと微笑ませてくれながら描いているこの上手さ。

しかも、セリフが珠玉揃いです。

ホスピスに常勤してるソーシャルワーカーの 川添さん

もたいまさこさんが演じてるので見ごたえありです)

ホスピス患者に言う一言

「がんばったって死んじゃうんだから気楽にやろう」                       

は、残酷なようで残酷じゃない、死ぬ事と正面から向き合っているホスピス患者の側に立って考えてる言葉だ。

それにひきかえ、副院長の一郎先生が祐子さんに言う見え透いた気休めの一言、

「よく言うでしょ、病は気からって」

は病人の気持ちに一切寄り添ってない。

 

祐子さんに、何故ホスピスを開設したのか聞かれた保先生が、

理由を話すシーン、以前、保先生が入院した時の事、

「 天井に大きなしみがあった。普段は気がつかなかった。

 患者が一番長く見てる時間が長いのは天井  なんだって   。    こんな所で死にたくないって思った  」

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

祐子さんが、TVのインタビューで、自分が死ぬ時の気持ちについて聞かれた時に返すセリフ。

「泣きながら生まれて泣きながら死んでいく。でも、生きているうちに一杯笑えば、死の瞬間に思い出し笑いぐらいはできるかもしれない」

 

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

  頼りない息子の事を、こと切れる間際まで心配して、この世に未練を一杯残して死んでいったクリスチャンの女性、 赤間 さんについて、保先生は、普段から、もっと心のケアをしておいてあげるべきだったと反省したが、副院長、一郎先生は、

ホスピスに入る前は自分の患者だったので境遇を知っている)

「死ぬ時は人間らしく死にたいっていつもいってた。息子の心配しながら死んだんだろ、このままじゃ死にきれないって。

 彼女の願いはかなった。普通はな、自身の体の痛みで手一杯だ、願いはかなった      」

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

と、言う。

赤間 さんは、ホスピスにいたから、痛みにのたうちまわらず痛み以外の事を考えながら死ねた、と、たとえ、息子の事を心配しながら、まだ、死ねないと悔しがりながら死ぬとしても、それも人間らしく死ぬ事である、という哲学。

リアリティにこだわって考えると、こういう哲学をいっててもまだ30代の、人生の深さもまだ知らないだろう医者、しかもホスピスのポリシーに反対な医者の一郎先生が持ってるわけないだろう、と気づいてしまう。

でも、保先生にとっては、敵である一郎先生を悪者一色に描かないで、人間を多面的に描く所、これが上手いシナリオライターの常とう手段。

作風も、構成も、キャラクター作りも、セリフも本当に上手いのになぁ

時代が早すぎて、ファーストペンギンすぎて理解してもらえなかったんだろうなぁ。

一色伸幸さんが、ホスピスという所の良さに気がついて、こういう企画をたてたのが、後、10年後だったら、この作品、その価値をちゃんと分かってもらえて、もっと 正当 な、おくりびと(2008年公開)に匹敵するような、扱いをしてもらえたのじゃないんだろうか?

でも、この映画、今だにDVD化されてなくて、VHSビデオのみで、

フジテレビジョンが、まるで、なかった事にしてる扱いなので、やっぱり、10年後もダメだったかな?

私なんか、こっちの方がおくりびとよりずーっといいと本気で思ってしまうんだけど、これって自分が世間の感覚とずれてるって事でしょうか?コワイです。

ま、でも、30年前に今の時代のような考え方をした、その着想力。

一色伸幸さん、普通じゃないです、頭の中を見てみたいです。

そして、相変わらず、リアルなエッチセリフを挟まないと気がすまない

この方の頭の中を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『僕らはみんな生きている』 滝田・一色コンビの傑作コメディ

  

僕らはみんな生きている

NHKBSで再放送中の大河ドラマ太平記

(1991年1月6日~12月8日放映)

をちらっと観てみたら、

真田広之さんの、

端正で爽やかで、繊細な武者ぶりに、改めて惚れ惚れしたので、

コロナで仕事もなくなったしと、彼のフィルモグラフィーを辿って

みた。

そしたら、必然的に1990年代の滝田洋二郎監督・一色伸幸脚本の

コメディ群の再視聴になり、何度も声をあげて笑ったり、

色んな要素が私のどストライクだった。

こうなると、作文大好きな私が感想を言わずに黙ってるなんてできない。

20年前の邦画コメディについて語った所で、どれだけ、アクセスがあるか、

覗いてもらえるか、ほぼ期待はできない。

けど、もし、『コンフィデンスマンJP』の騒がしさやお洒落さについていけない私のような人がいたら、

風刺たっぷり、人間臭さたっぷりの一色・滝田ワールドを覗いてみてください。

 

今まで、ブログで作品を採点する事はしませんでしたが、

20年前の作品が、2020年の価値観と今の黄昏の50代の私から見て

どれぐらい、傑作と思えるかを表す為に採点式にしました。

ネタバレありの感想です。 

 

第1弾に選んだのは、

『僕らはみんな生きている』

  1993年3月13日公開

  監督:滝田洋二郎

       (当時38歳)

  原作、脚本:一色伸幸

       (当時33歳)

採点:4・5点(5点満点中)

  あらすじ

 商社マンで技術者の高橋は橋建設プロジェクト売り込みのため東南アジアのタルキスタンに出張する。自社の駐在員中井戸やライバル社の富田らと共に軍事政権の最高指導者カッツ大佐の主催するパーティーに出席している最中、軍事クーデターが発生する。激しい市街戦が行われる首都に取り残された高橋ら4人は、ジャングルを抜けて空港に向かおうとするが、途中中井戸がゲリラ軍に捕らわれてしまう。

   出典:ウイキペディア

 

 

『僕らはみんな生きている』というのは、やなせたかしさん作詞のあの有名な歌

『手のひらを太陽に』

の歌いだしの歌詞である。

ゲリラ軍に捕らわれてしまった中井戸さん(山崎努 撮影時55歳)

を他の3人のジャパニーズビジネスマン、高橋君(真田広之 撮影時31歳)、

富田さん(岸部一徳 撮影時45歳)、升本さん(嶋田久作 撮影時37歳)が

助けに行く時、ゲリラ軍の基地に入る前に、敵と思われてゲリラ軍から撃たれないよう、自分達は平和的な非戦闘員です、

というのを強調する為に、大の大人の男3人が、

この歌を小学生みたいに合唱しながら基地に入っていくのだ。

 

この作品は皮肉に満ちている。

空港に向かうつもりだったジャパニーズビジネスマン4人が、あやまって

市街戦真っただ中の街に入ってしまった時に、現地語の通訳係でタルキスタンの情報に一番詳しい升本さんの

「市民は傷つけないのが、世界の市街戦のルールだ」

というアドバイスに従って、

富田さんは、日本のパスポートを、高橋君は名刺を3枚出して、上に掲げ、

4人で、升本さんに教わった現地語で

「私達は日本のサラリーマンです」

と叫びながら、隠れていたとこから立ち上がると、

銃撃戦がやむ。

その停戦になってしーんとした中を、スーツ姿の4人の

ジャパニーズビジネスマン達が、銃を構えている戦闘員達に、

「ご苦労様です」

とか

「こんにちわ」

等と頭を下げながら通過していくのだ。

ここの画の滑稽さは天下一品で、「私達は日本人です」だけでいいだろうに、と思うし、

高橋君が名刺を現地の人に見せて歩くのも、

発展途上国の現地の人に、名刺なんて何の意味もなさないのが分かんないのか?と、

何てバカなんだろうと、可哀そうになるぐらいアイロニーに満ちている。

又、高橋君を演じる真田さんの演技が、本当に滑稽で、二枚目なのに

そういう役を喜々と演じる俳優さんだから、この先、ずっと日本映画の

中心にい続けられたんだと思う。

 

ラスト近くで、このジャパニーズビジネスマン達が、ゲリラ軍に対して、

命がけの商談に挑むシーン。

途中で高橋君が切れて、ゲリラ軍にくってかかってしまうのだけど、

最初は、切れて、ジャパニーズビジネスマンの矜持と悲哀をぶちまける役は、

おじさん年齢の、サラリーマン歴の長い富田さんあたりがやった方が説得力があるのではないか、と思ったが、

そうすると、

この作品がただのサラリーマン哀歌で終わってしまってたような気がする。

若くて、まだサラリーマンの悲哀をどっぷり帯びてない高橋君が、現地の人への差別用語を連発しながら、

日本のサラリーマンの価値観をぶちまける展開。

「勝手に殺しあえよ」

「政府もゲリラも関係ねぇんだよ」

「金があるやつが神様だ」

「メード・イン・ジャパンだ」

と、つばを飛ばしながら、怒涛のように、まくしたてる。

この展開こそが、この作品の毒を表してると思う。

その毒とは、

日本国外で内戦がおきてようが、

世界が平和じゃなかろうが、

自分達ジャパニーズビジネスマンには、仕事が全て、もうけが全て、

そんな風にしか生きられないんだよ!

みたいな……

 高橋君がぶちまけるヤケクソの人生観。

仕事の為に家庭を失った中井戸さん

の表情にかぶる関白宣言の歌詞

「忘れてくれるな

 仕事もできない男に

 家庭を守れるはずなどないって事を」

 引用元:EPレコード『関白宣言』

     作詞、作曲:さだまさし

ゲラゲラ笑ってるだけで終わらないこの哀しさ。 

エコノミックアニマルと言われた日本の熾烈な経済発展への風刺と、それを支えていたサラリーマンの悲哀。

+もうけ至上主義の日本や他の先進国の企業が見て見ぬふりをしてる発展途上国の政府の腐敗。

それを皮肉たっぷりに、人間臭く描いた、

滝田・一色コンビのコメディの最高傑作だと思う。

 

ちなみに、真偽の程は、定かではありませんが、

この作品のロケは、当時、政情不安のタイで行われ

そこで、撮影中に、製作資金がなくなってしまったり、

小林プロデューサーが、タイ人の女と勝手に東京へ帰ってしまったり、トラブルだらけで撮影中止も検討されたハチャメチャな現場だった、という話をどこかで読んだ事があります。

 

真田広之も、この時のロケについて

 「生きて帰れた暁には、って状況にありましたから」

  出典:キネマ旬報 1994年2   月下旬号

と言っている。

生きて帰れた暁には?ってどれだけ、ひどかったのだろう?

その恐怖が4人の俳優達の表情にリアリティを与えていたようにも思える。

とりわけ、この作品中の真田さんの顔が、頬の肉がごっそり落ちて、胸板もかなり薄くなっているのを見ると、ほんとに毎日、不安で一杯だったのじゃないかと思う。

 

私が真田広之が好きな理由は、二枚目なのに、カメレオン俳優だからで、

この滝田・一色コンビのコメディに連続して出てた時期だけでも、

同作品群での巻き込まれ型二枚目半、

正統派時代劇での重厚な武者役、

純愛ドラマの繊細な青年役等を

別人のように演じきっている。

その中でも、この作品でのカメレオンぶりは、神がかっていたと思う。

 

よく、男優、女優さんの演技が真にせまっていて、凄みがあると、

憑依型だとか、狂気をはらんでいる等と表現されるけど、

前述した、ラスト近くで、ゲリラ軍のリーダーに切れて、

くってかかってた時の彼はまさにそうだった。

 

彼が22歳の時からのファンで、それ以降の彼の映画はほとんど観ているが、

多くの人に称賛されて、国内の賞をそうなめした映画より、誰もが知る

人気ドラマの彼より、どの作品の

真田さんより、この作品の真田さんが好きだ。

 

しかし、今の若い人には、この作品での彼の凄さが、

オーバーアクション過ぎ、とか下手とかに映るらしく、

Filmarksという映画レビューサイトで、

{学芸会のような演技に驚いた}

と書かれているレビューに、いいね!が57個もついていた。

でも、この作品での演技で、

キネマ旬報という雑誌が開催している映画評論家達によって選ばれる賞で、

1993年度の主演男優賞を獲っているから、1990年代のコメディ

はこういう演技が大正解だったのだよ、若い子よ!

今の若い子の文化についていけない私にとっては、2020年の今も大正解だし。

 

 

 

『病院へ行こう』一色伸幸ワールド

病院へ行こう [DVD]

 

1990年4月7日 公開

監督:滝田洋二郎(当時35歳)

脚本:一色伸幸 (当時30歳)

採点:3・5点(5点満点中)

  あらすじ

広告代理店コピーライター・新谷公平は、妻の春子が夜中に見知らぬ男性を自宅に連れ込んでいる現場に鉢合わせし、男性と揉み合いの末、マンションの階段から転落する。そんな新谷が搬送された大学病院の新人研修医・吉川みどりは、救急患者が苦手で点滴の針すらもさせない有り様。結果、新谷は大腿骨骨折・全治1ヶ月間と診断され、同病院の大部屋で入院生活を送ることになる。だが、新谷の隣のベッドの患者は一緒に転落した男性・如月十津夫だった。新谷と如月の担当医になったみどりに対し、新谷は不安を如月は恋心を抱く。入れ替わるように面会に来た春子は新谷に離婚届を渡すと弁解もせず実家に戻ってしまう。

新谷は間男、妻の不倫・離婚、自分が抜けた仕事のことなどから胃潰瘍を併発するが、医師が胃癌であることを隠すために胃潰瘍と偽っているのではと思い悩む。一方、新谷よりも軽傷だった如月の肺に影があり、肺癌なのか結核なのか判明せず、みどりも悩んでいた。如月には内緒で様々な検査をするが、結局、どちらなのか判明しない。外科医は手術して直接患部を見れば良いと言うが、不要な手術を嫌うみどりは納得しない。日数は掛かるが、如月の痰を培養検査へ提出する。みどりから胃潰瘍であると断言され新谷の悩みは軽減される。しかし、如月への怒りは治まらない。復讐のためだけに如月が憧れるみどりを口説き落とし、新谷の意趣返しは成功する。

検査の前日、如月は新谷を誘い病院を抜け出し、2人は車椅子で夜の街へと繰り出す。そこで、新谷が仕事で多忙のために寂しい春子が、自身の誕生日に街で偶然出会った如月を家に入れただけで、不倫など何もなかったという真実を知る。酩酊した如月は解雇された花火工場に乗り込むが、怪我で利き手の右手が不自由になった職人まで雇う余裕がないと親方夫婦は弁解する。朝帰りした二人が病院に戻ると、如月の帰りをいら立って待つみどり。如月の飲食していないとの自己申告を信じ検査を始めるが、検査途中で昨夜暴飲暴食したものを吐いてしまい検査は中止。検査した医師はみどりを叱責し、みどりは嘘をついた如月に怒りをぶつける。

新谷は如月の検査内容から肺癌だと気付き、みどりを問い詰めるが不自然に否定される。ある夜、 医局に忍び込んだ新谷と如月は、みどりの引き出しに如月のラブレターを入れるが、如月が目を離した隙に新谷は引き出しからラブレターを取り戻す。新谷はみどりが書いた風を装って返信を作成し、それを寝ている如月の枕元に置く。如月は返信の内容が好意的なものだったので、みどりが態度に出さないのは彼女の奥床しさだと誤解する。

 

ある日、みどりに呼び出された如月が意気揚々と診察室に向かうと、みどりから外科医を紹介される。その医師から開胸術による検査を勧められたことで、自分は肺癌で死が近いと思い込む。如月は死ぬ前に自作の打ち上げ花火を夢の島で試すため、新谷と実力行使で病院を抜けだそうと試みる。しかし、病院を抜け出すのが困難と判断した新谷は、行き先を屋上に変更し、屋上から火の付いた花火の玉を放り投げる。花火は夜空に大輪の花を咲かせ、如月の花火は大成功。丁度、その頃、みどりの元に如月の検査結果が届き、癌ではなく服薬で完治する結核と判明する。みどりは如月には吉報を知らせ、新谷には喜びのあまり抱きつきキスをする。2人の関係を知らなかった如月は呆然と見守るだけだった。如月が内科病棟に移った数日後、新谷は如月がみどり先生に告白したが振られたことを噂で知る。

新谷の退院の日、新谷と偶然ロビーで再会した如月は不自由だった右手だけで折鶴を作ってみせる。新谷が病院の出口を抜けると、そこには新谷を待つ春子の姿があった。

出典:ウイキペディア

この作品は、私が観た最初の滝田・一色コメディです。

『怪盗ルビー』(1988年公開)を観て、既に、真田さんが、3枚目の役が上手なのを知ってたのと、

フジTV制作で、宣伝も全国規模で上手だったので、

いやがおうにも期待をふくらませて観ました。

期待は外れませんでした。

日本映画でも、

登場人物がこんな変人だらけで、皮肉を交えた面白さを

味わえるコメディがあるんだぁ♥

と、嬉しくなりました。

とにかく、変な人がいっぱい出てくるんだけど、その変さが、

現実離れしてなくて、「こういう人っているかも」と思いながら、

終始、クスクス笑っている、という。

 

薬師丸ひろ子さん(当時27歳)演じる注射が上手にできない研修医。

でも、当時は、そんな医者いるわけないでしょっていうのが、常識だった。

それを、見事にひっくり返して、笑いにしてくれて……

私の勝手な推測ですが、この作品以来、注射をするのが苦手な

お医者さんとか看護婦さんもいるんだ、ってのが、日本全国で認知されたように思います。

そしてベンガルさん(当時38歳)演じる公務員の患者。

入院日数を伸ばして、違法すれすれに、というよりもう、

不法でしょという感じで多額の入院保険を取得して、お金を稼いで、

奥さんと

「このまま入院し続ければ、家のローンも払いきれちゃう ウヒウヒ!」

なんて会話してる。

この例は、後から冷静に考えれば、こんな事してたら、さすがに、ばれて訴えられるだろう、と気がつくのですが、映画の一色ワールドに浸りきって観てる間は気がつかないんですねぇ……

主役や重要な役じゃない人の事は、そんなに真剣に見てないから、というのもあるでしょうね。

 

そして、この作品のきもは、二枚目の色男、真田さん演じる新谷君と

典型的なブ男の大地康雄さん(当時38歳)演じる如月さんの組み合わせです。

 

真田さんの、痛い時は、思いっきり痛がり、治療中に恐怖におびえる

顔の演技は悪く言われる時はケレンミがあり過ぎると、非難されますが、

コメディで、二枚目の若者がはでに痛がったり、表情豊かな綺麗な顔を

見せてくれたら、とても楽しくないですか?

しかも、この新谷君はこの作品中、最初から半分位までは、

足の骨折で痛いわ、

研修医の先生の注射が入らないで痛いわ、

妻をぶ男の如月さんに寝取られて(誤解だけど)、悔しいのに

その如月さんと隣同士のベッドで暮らさないとならないわ、

で、ただでさえ憎い如月さんが、夜、咳でうるさいわ、

おならはひるわ、

で神経消耗しすぎて、胃潰瘍になっちゃう、という不幸のドツボで、

その不幸に苦しむ二枚目の色男を

ちっとも暗くならずに、げらげら笑って観れるのは、ケレンミが

ありすぎると、批判されるようなドタバタ喜劇系の演技だからだと思います。

又、滝田監督もそこを狙って、そのドタバタ喜劇を要求してて、

真田さんが、それに上手に答えているのじゃないかと思います。

そうじゃなかったら、滝田監督はこの先、何本も真田さんと

映画撮らなかったと思います。

そんな表情豊かでなんか賑やかな新谷君とは対照的に、

ブ男の如月さんは、常に落ち着いてて、気持ちをあまり表情に出しません。

でも、大地康雄さんの顔が、ものすごくインパクトがあり、

(多分ブ男ゆえの)哀愁があるので、表情をころころ変えなくても

いいんです。黙ってるだけで如月さんの人生がどんなだったか

想像がついちゃいます。これはこれで、名優だなぁ、と思います。

そんな動と静、明と暗の二人が一緒に画面に収まってるのがとても

バランスよくて楽しいです。面白いです。

 

一色・滝田コメディが、自分にどストライクなのは、

このコンビのコメディは

【お洒落でかっこいい】

ではないからです。

【人間臭くて、リアリティがある】

からです。

この『病院へ行こう』では、夜、如月さんが、おならをするし、

『僕らはみんな生きている』では、中井戸さんが、恥ずかしげもなく

鼻くそをほじります。

それだけでは物足りずに、

『僕らは』では、

真田広之演じる高橋君が、

メモ帳に緻密な生々しい恋人の裸体を描いて、それを見て、

「やりてぇ…」

とつぶやくし、

『お受験』(1999年公開)では、

あの田中裕子さんに、大事な模擬面接の時、おならをさせます。

この作品中の新谷君も、おならこそしませんが、自分が浮気してるのに、奥さんが浮気すると怒るし、自分がもらったお見舞いの数を見せびらかすためにベット前の壁にのしをずらっと貼り付けてるし、かなりの俗物でみっともない男です。

でも、この”落とし”が、人間臭さが、登場人物に二次元の世界を超える生身の人間の匂いを与えていて、生き生きと見せてくれるのです。

 

そして、たとえ、コメディでも、残酷な事実を隠さない、

というのが一色脚本のポリシーです

(と思います。違ってたら、苦情のコメント下さい)

『病院へ行こう』の1シーン、

新谷君が病棟のエレベーターで一緒になった夫婦が、ベッドから

引き払ってきただろう荷物を持ちながら、誰かの葬式について

相談してます。新谷君が、どきっとしてると、エレベーターのドアが開き夫婦は去っていきますが、その夫

が持っていた篭に、数日前、新谷君に、病院の庭でチョコレートをくれた(その時は元気だった)女の子が

着ていたパジャマと抱いていたぬいぐるみが入っていた。

 

女の子の死を、この1シーンだけで描写し、死というリアリティも作品の中で避けて通らない。

 

如月さんがいい年をして、素人童貞だと新谷君に吐露するシーンも、

同情してくださいって空気は、みじんもなく、さらっーと流れるんだけど、

これもよく考えると、ブ男の悲哀が切ない。

 

最近、食わず嫌いで、邦画もドラマもあまり観ないから、

間違ってるかもしれないけど、もう、今の日本映画界の人材に

こんなに人間臭いドラマを作れる人はいないような気がする。

いたら教えて下さい。

 

採点が、3.5と辛いのは、

如月さんが、肺がんかもしれないと、医師達が疑って、組織を調べようと、

開胸手術をセッティングするが、

研修医のみどりはそれに反対して、

痰の培養から病気を特定する事にこだわる。

開胸手術したって、がんじゃない事が分かれば、めでたしめでたし

になるはずだし、そっちの方が早く済むので、如月さんの不安も早く

取り除いてあげられる。

なのに、医者の卵がそれに反対するのはおかしいと思った。

 

検査とはいえ開胸させると体に負担が大きいから、如月さんの事を

おもんばかってなのか、だとしたら、あまりに優しすぎイイ人すぎで、医者としてのプロ意識が全然ない感じがして残念だから。