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『病は気から 病院へ行こう2』死を扱った邦画の(自分的に)NO1.作品  

ちらし画像

出典:ピア映画生活 フォトギャラリー

 

※ネタバレあり

 

1992年 12月19日公開

監督:滝田洋二郎

          (当時38歳)            

原案、脚本:一色伸幸

   (当時32歳) 

 

あらすじ

美容師・安曇祐子(あずみ ゆうこ)は、酒を飲みすぎて病院に担ぎ込まれ、副院長・片倉一郎(かたくら いちろう)から胃潰瘍と診断された。しかし実際はスキルスといわれる末期の胃癌で、最も重症の部類に当たる病状と判明する。「少しでも長生きできるよう延命処置を取るべきだ」と主張する一郎。しかし弟であり同じく医師の片倉保(かたくら たもつ)は「患者に苦痛のないような死に方を理解し支えるのも医者の仕事」と考え、新設されたホスピス病棟の仕事に全力を傾け、意欲を燃やす。そんな中、うかつな保の言葉から自らの病気を知った祐子は、動揺を隠しきれず病院を抜け出そうとする。結局、祐子は保の勧めでホスピス病棟に入るが、自身の余命を逆手に取り、芸能活動を始める。

出典:ウイキペディア

採点:3点

(29歳の時に感 じた感想)

    ×

    28

(その後28年間を生 きて観た感想 )

 

   =84点

 

この作品、28年前観た時、自分は、全く、批判する気はおきなかったですが、

低評価だったようです。

その理由をわずかに残るレビューから推察すると、どうも

【病気や死をふざけたように扱っているから】

とか

【コメディのはずなのに暗い内容だから】

といった理由のせいみたいです。

そりゃあ、「ホスピタル・ラブ・コメディ」とか「恋に、手おくれはありません」

なんて、キャッチコピーで宣伝してたら、みんな能天気な、普通な

医者と患者のラブコメディだと勘違いするわなぁ……

所が、蓋をあけてみると、この話

、今よく作られる

「余命何ヵ月と診断された主人公が吹っ切れて、ぶっ飛んだ事や、やりたかった けど、いままで世間や家族や職場に遠慮してやれなかった事を実行する」

というヒューマンドラマなのだ。

それにしても、

今は、そういう話がちっとも批判されないのに、

1992年は何故それをやっちゃあいけなかったんだろう?

多分、保先生の兄、副院長の一郎先生のポリシー

[患者の命を一分一秒でも長らえさせるのが、最良の医療]

ていうのが、世論だったのだろう。

だから、治らない癌の患者でも、一分でも、長生きさせられるために、ベッドに縛り付けられ、副作用に苦しみながら、抗がん剤を投与され続ける事例の方が圧倒的に多かったのかなぁ……

ちなみに、この5年後、1997年に私の姑が肺癌で他界したのだけど、

最後の入院の時、もう、どんな治療も薬もない状態だと医者が言うので、私はそれなら、きっと家で死にたいに違いないと思い、

「連れて帰って家で看ます」

と言ったら、先生や看護婦さん達はその準備を始めてくれたけど、

姑本人が家に帰るのを拒否したので、私の価値観と違って、一分でも、長生きできるように設備の整った病院にいたい、と思ったのかもしれない。、その時期でも、やはり、病院で管に繋がれて死んでいくというのが、病人本人も、正解だと思う時代だったんだろう。

それとも、もしかすると、自分が家に帰ると、私や他の家族に迷惑かけると思ったのか……どっちなのかは、今はもう分からない。

私は、もう、治らないのなら、住み慣れた自宅で家族に囲まれて過ごしたい、とか、この作品の主人公のように、やりたかったけど、やらなかった事をたとえ、死期が少し早まってもやりとげたい、と思うタイプなので、28年前でもこの作品に少しも嫌悪感はなかったけれど、凄く感動したわけでもない。

このコメディ、逆転の発想で面白いな、程度の感想だった。

ところが、28年の月日を経た今、観ると、死が間近にあるというか、常に癌も、癌で死ぬ事も背中合わせだと感じる歳になったため、この作品の、ホスピスに入院していて、もうすぐ死ぬ人々の哀しさに共感してしまい、面白いセリフにゲラゲラ笑う余裕なんてない。

身につまされる気持ちで、画面をがん見し続けてしまった。

ホスピスの患者の、元から老い先短そうで、ほぼ寝たきりの超高齢のおじいさん、 柏木 さん(天本英世さん  当時 66 歳らしいが80歳位に見える)が

自分が癌で死ぬ事を初めて知ってしまった後、怖くて怖くて仕方なくて、保先生に

「抱いてくれませんか?」

「私を抱いて下さい」

と、不気味な表情をして懇願するシーンでは、涙腺が一気に決壊し、

 別のホスピス患者の  岩久保さんが、周りの人に迷惑かけることを平気でするので、さすがに保先生や看護婦さん達が 止めに行くと、

「火つけてやる、こわいものはねぇんだ、

てめえの首かっきって、看護婦みな強姦したって平気なんだよ、

裁判が始まる前に死ぬんだからな」

 

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

と保先生や看護婦に切れるシーンは、泣けない程辛い。

そうだよなぁ、もし、余命1カ月って言われたら、どんな悪い事して、世間に嫌われようが、全く気にならなくなっちゃうよなぁ……

可哀そうだなぁ……

これ、コメディじゃない、ヒューマンドラマじゃん!

と、いろんな箇所で鎮痛な気持ちになってしまう私。

 

末期癌で、ホスピスに入ってる人々の哀しさ、もう、一度は諦めたはずなのに、どうにかして治りたいと悪あがきし、生きたい、まだ死にたくないと神を恨む 人間らしさ。でも、訪れる過酷な現実。

それを、全くお涙ちょうだいムードなく、淡々と、時々、クスッと微笑ませてくれながら描いているこの上手さ。

しかも、セリフが珠玉揃いです。

ホスピスに常勤してるソーシャルワーカーの 川添さん

もたいまさこさんが演じてるので見ごたえありです)

ホスピス患者に言う一言

「がんばったって死んじゃうんだから気楽にやろう」                       

は、残酷なようで残酷じゃない、死ぬ事と正面から向き合っているホスピス患者の側に立って考えてる言葉だ。

それにひきかえ、副院長の一郎先生が祐子さんに言う見え透いた気休めの一言、

「よく言うでしょ、病は気からって」

は病人の気持ちに一切寄り添ってない。

 

祐子さんに、何故ホスピスを開設したのか聞かれた保先生が、

理由を話すシーン、以前、保先生が入院した時の事、

「 天井に大きなしみがあった。普段は気がつかなかった。

 患者が一番長く見てる時間が長いのは天井  なんだって   。    こんな所で死にたくないって思った  」

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

祐子さんが、TVのインタビューで、自分が死ぬ時の気持ちについて聞かれた時に返すセリフ。

「泣きながら生まれて泣きながら死んでいく。でも、生きているうちに一杯笑えば、死の瞬間に思い出し笑いぐらいはできるかもしれない」

 

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

 

  頼りない息子の事を、こと切れる間際まで心配して、この世に未練を一杯残して死んでいったクリスチャンの女性、 赤間 さんについて、保先生は、普段から、もっと心のケアをしておいてあげるべきだったと反省したが、副院長、一郎先生は、

ホスピスに入る前は自分の患者だったので境遇を知っている)

「死ぬ時は人間らしく死にたいっていつもいってた。息子の心配しながら死んだんだろ、このままじゃ死にきれないって。

 彼女の願いはかなった。普通はな、自身の体の痛みで手一杯だ、願いはかなった      」

出典:東映映画『病は気から 病院へ行こう2』

と、言う。

赤間 さんは、ホスピスにいたから、痛みにのたうちまわらず痛み以外の事を考えながら死ねた、と、たとえ、息子の事を心配しながら、まだ、死ねないと悔しがりながら死ぬとしても、それも人間らしく死ぬ事である、という哲学。

リアリティにこだわって考えると、こういう哲学をいっててもまだ30代の、人生の深さもまだ知らないだろう医者、しかもホスピスのポリシーに反対な医者の一郎先生が持ってるわけないだろう、と気づいてしまう。

でも、保先生にとっては、敵である一郎先生を悪者一色に描かないで、人間を多面的に描く所、これが上手いシナリオライターの常とう手段。

作風も、構成も、キャラクター作りも、セリフも本当に上手いのになぁ

時代が早すぎて、ファーストペンギンすぎて理解してもらえなかったんだろうなぁ。

一色伸幸さんが、ホスピスという所の良さに気がついて、こういう企画をたてたのが、後、10年後だったら、この作品、その価値をちゃんと分かってもらえて、もっと 正当 な、おくりびと(2008年公開)に匹敵するような、扱いをしてもらえたのじゃないんだろうか?

でも、この映画、今だにDVD化されてなくて、VHSビデオのみで、

フジテレビジョンが、まるで、なかった事にしてる扱いなので、やっぱり、10年後もダメだったかな?

私なんか、こっちの方がおくりびとよりずーっといいと本気で思ってしまうんだけど、これって自分が世間の感覚とずれてるって事でしょうか?コワイです。

ま、でも、30年前に今の時代のような考え方をした、その着想力。

一色伸幸さん、普通じゃないです、頭の中を見てみたいです。

そして、相変わらず、リアルなエッチセリフを挟まないと気がすまない

この方の頭の中を。