日米田舎者の悲哀 『ローガン・ラッキー』
『ローガン・ラッキー』のネタばれあり
脚本:レベッカ・ブラント
(実はソダーバーグ本人、又は彼の妻の
脚本という噂あり)
映画界から引退したはずだったソダーバーグ監督(54歳)が、脚本を読んで、その素晴らしさに魅了され、監督復帰した作品。
ソダーバーグ監督、この作品が東京国際映画祭で特別招待作品になったため、来日、その舞台挨拶の時、報道陣向けの写真撮影で、カメラマンから笑顔をリクエストされると「No!」と即答したそうだ。
私は『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年日本公開)も良かった、そして、
『アウト・オブ・サイト』(1998年日本公開)や『エリン・ブロコビッチ』(2000年日本公開)、『トラフィック』(2001年日本公開)を観て、いい映画をみたなぁ…この監督のセンス、好きだな…と思いましたが、彼の作品全部は観てないので、ファンではないんだと思います。でも、こういう話を聞くと、この人、好きだなぁ!!と思います。
この状況下でも愛想笑いはしない
映画を撮るのをやめたのは、自分の作った作品が、拡大公開されると配給や収入配分の流れ等が自分が知らない、コントロールできない状態になるのが、嫌だったからだ、そうです。
何故、自分でコントロールできないと嫌なのか、要は、大作になると、出資する金持ちや配給会社から色々口出しされて、本当にやりたい自分のやり方で映画を作り、配給できないからって事ですかね?
故に今作からは配給も宣伝方法も、全て自分で管理する映画製作にシフトし、これからもAmazonと協力して個人商店型で作品作りしてくれるそうです。
今作はそんな彼のこだわりで、余計な宣伝費をかけなかった為か、大ヒットとはいかず、製作費回収ギリギリの線の興収だったそうですが、ロッテントマトのトマトメーター(米国批評サイトのプロ批評家枠)で93点という高評価ですし、彼のファンも、私も、そして大勢の人を幸せな気持ちにしてくれる映画を観せてくれて、文句なしです。
「マーケティングはどうやって行われるのか、製作物はどのようなものが作られていくのか、そして資金がいつ、どのような形で使われるのかということを自分自身が確認できるかどうか。どういった風にさまざまな収益が集められて、関わった人々に配分されていくのか、自分できっちりと管理して透明性をもって見られること。実は、これらができなくなったのが、長編映画から身を引いた理由でもあったんだ。自分の作品が拡大公開されてしまうと、どうしてもコントロールできなくなってしまうからね。
、当時はそれしかないという苦渋の思いで行ったことなんだ。映画のことは今も昔も愛しているよ」。当時を述懐したソダーバーグ監督は、「でも、今はハッピーだよ」と満面の笑みを浮かべる。「自分の条件で戻ってくることができたし、ほかの人のビジネスコンセプトに合わせなくてもよく、自分ならではのやり方で仕事できているから、とても快適なんだ」。
ソダーバーグ監督は今回、新たな試みとして、米国内の配給を行う会社フィンガープリント・リリーシングを設立。これにより、企画から公開に至るまでのすべての行程を掌握し、監督が志す“コントロール”が可能になった。「今回はAmazonに劇場面の権利を買ってもらい、そこで得た利益をマーケティングに回しているんだ。契約を金融機関に持っていってローンを組み、本作を作ったんだよ。Amazonは今までであれば全権を買うというのが通例だったから、今回のように部分的に買って、支払ったものが別の用途に使われるという試みをまとめるのに時間はかかったね。ただ、Amazonから“今後の作品も同じ形態でやろう”と言ってもらえたから、彼らにとっても悪い契約ではなかったと自負している」と総括したソダーバーグ監督は、新たなチャレンジに手ごたえを得た様子。
出典:映画.com
【ソダーバーグ監督インタビュー:後編】「ローガン・ラッキー」のために新会社まで
あらすじ:以下を参照ください
感想
ノースカロライナ州の田舎が舞台です。
FBI捜査官以外、出てくる人みんな田舎もんです。
主人公ジミー(チャニング・テイタム)の元妻の現夫も、事業に成功し、他所にあたらしく店を構える余裕がある裕福なビジネスマンですが、スーツをびしっと着たリッチマンではなく、帽子をかぶり、ビール腹にポロシャツ姿の"アメリカの田舎のおっさん"です。
ジミーの娘がコンテストで歌う『カントリーロード』(ジョン・デンバーとかオリビア・ニュートン・ジョンが歌ってるあれです)に感動したとか、ほろり、としたというレビューをよく見たので、何で日本人があれを聞いて泣くんだろう?と不思議でしたが、作品中で、日本語訳された歌詞を見たら、『カントリーロード』には、故郷への郷愁と共に哀愁も漂ってるんですね。
美少女コンテストで、ジミーの娘が、「パパの好きな歌を歌います」と言って、アカペラで、『カントリーロード』を歌いだすと、会場の人々も思わず、歌いだし、みんなで合唱してるような状態になるんですが、その場面からは、故郷への郷愁、賛美よりも、この田舎で全うする自分達の人生の切なさをみんなが歌にしてる、という感じを受け、田舎に住んで、色々あきらめて生きている自分を重ねてしまい、私はそれで泣きました。
近年、米国の富の二極化の浸透で、持たざる側にいる田舎の白人達。その低所得の階層の気持ちを代弁したような作品でもあるので、東京等の大都会と自分達の便利格差にため息つく田舎ものの私は、なんか無性に共感してしまいました。
例えば、観たい映画を1本観る為に(自分が観たい映画はほとんど地元では上映されていない)新幹線で、一万円もかけ、時間も一日かかるので、観るのをあきらめる。
タイ料理のお店もベトナム料理店もキッシュを売っているベーカリーもありません。
洋服店はユニクロとライトオンとしまむらとイオンモールと代々続く呉服屋がやってるほぼつぶれてる総合衣料店だけ。
もちろん、引きかえに、都会より便利なこともあります。
保育園や認定こども園の待機児童数はほぼ0です。
なにせ、若い夫婦や子どもが少ないんですから。
自然も多いし、職場はもちろん、どこへ行くのも車なので、バスや電車の中で、子どもが泣き止まなくて、周囲から白い目で見られるなんて事もありません。
仕事だって、おしゃれな職種にこだわらなければ、いくらでもあります。慢性的な人不足ですから。
そんな子育てに最適な土地。にもかかわらず、移住してくる若い家族はあまりいません。
個人商店もどんどんつぶれて、商店街はシャッターだらけ。郊外には広大な山や林、畑や空地がありますが、人がいないので、荒れていく一方です。そんな景色を見て、子ども達は大学進学を機に故郷を出ていきます。夢や、やりたい事は地元ではかなえられないそうです。そして一度、出ていくともう帰ってこないので、親達はあきらめて、老夫婦ふたりの淋しい老後を受け入れます。
物欲をあきらめるのは、慣れれば大した事ないですが、この精神的な幸せまであきらめなければならないのはとても切ないです。
そんなに嫌なら、都会に越せば?と言われれば、それまでですが、そんな大それたことなんてできない、ふがいないダメ人間です。
そんなひがみ根性がしみついたダメ人間だからだと思います、ストーリーも、登場人物も舞台も、全てがおしゃれでイケメンな『オーシャンズ』シリーズを観る気がしないのは。
というわけで、本作の主人公、ジミーとクライド兄弟の挫折感や悲哀、二人が組むバング兄弟(次男、三男)の間抜けさ、最もプロらしい頼りになりそうなジョー・バング(長男)さえ、どこか抜けてるように見えるゆるさ。
そういう反オーシャンズ的なものが愛しくてたまりません。
そして、ゆるい人達はどこまでもゆるく、憎めなく、できるヤツなFBI女性捜査官や勝ち組の爽やか女性医師はどこまでも鋭く、かっこよく…緩急の効いた上手い演出で、出演時間の少ない二人の女優、ヒラリー・スワンク(43歳)も、キャサリン・ウォーターストーン(37歳)も非常に存在感があります。
楽しくて、観終わった後、又観たい、と思ってしまう作品です。
ただ、セリフで多くを語らず、画で見せる、という洗練された脚本なので、話の展開が、巧妙すぎて、金庫泥棒の作戦の細かい所の意味が1回観ただけでは分からない事がありました。もし、読んでくださってる方で、私と同じ印象を受けた方がいたら、
かるびさんというブロガーさんのHatena blog『あいむあらいぶ』の
【ネタバレ有】映画「ローガンラッキー」感想・レビューと10の疑問点を徹底解説!/祝!スティーブン・ソダーバーグ監督復帰第一作!
blog.imalive7799.com
を読むと、疑問点が青空が広がるようにすっきりします。
かるびさん、とても助かりました。緻密な観察力、リサーチ力、そして洞察力に脱帽です。ありがとうございました。
☆今年は、『ザ・コンサルタント』
『ジーサンズ』
と、犯罪映画なのに、観終わった後、あったかくなる作品が豊作だった気がします。(3本ですが)
不運や貧乏で苦労する庶民を描く時、米国は義賊に変身させて、明るく描きますが、英国は『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2017年日本公開)とか、『おみおくりの作法』(2015年日本公開)とか、容赦ないリアリティで描ききって、何も解決はしない、という作風が多い気がします。国民性と関係があるんでしょうか?
イギリス産で、虐げられた人達が、反撃するクライムコメディって何かありますか?