映画についてのよけいな事 

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B級映画から教わる人生

闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

ヘルボーイ

 ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー

のネタばれをしてます。

 

 

私はB級アクション映画とか、一見、感動の「か」の字もないようなバイオレンス映画を観て、人間についてとか、人生について教えられたような気持ちになる事がよくあります。

人々がただ、「面白ければいいの」と思って、それ以外何も期待して観ないような作品の中で語られる人生についてのメッセージが感動的だった3作品について書きたいと思います。

 

闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

 

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2016年公開

監督:山口雅俊(57歳)

脚本:福間正浩

   山口雅俊

 

あらすじ

ウシジマの闇金会社「カウカウファイナンス」に、ある日ウシジマの中学の同級生の竹本優希が現れ、借金を申し込む。「友達としてなら金は貸さない」とウシジマに言われ、カウカウファイナンスでの借金を断念した竹本は路上に座り込んでる所を、暴力と恐怖で貧困者を縛り、貧困ビジネスを営む鯖戸3兄弟の一人にスカウトされ、丸め込まれて、そこで社員として働く為に社員用施設に入る。そこで、他の人生の転落者達と共に収容所生活のような厳しい生活環境での労働を課せられるが、善良で美しい心根を持った竹本は、劣悪で弱肉強食な環境下にあっても、人間らしい優しさや思いやりをなくさない。ウシジマにとっても、竹本は唯一、暴力と無縁の善人の友達だった。中学時代、転校してきたウシジマをクラスのボスだった柄崎(今はウシジマの部下)に命令されてクラス全員がリンチした時も、竹本はそれに加わらず、後で柄崎に制裁されたのだった。 

欲に支配され、金に群がる人間達。鯖戸3兄弟、ウシジマのライバル闇金屋の犀原茜、債務者を利用して汚い金儲けをする弁護士、そして、闇金「カウカウファイナンス」のメンバー達の、金をめぐっての壮絶な抗争。竹本は、その隙をついてウシジマの金、5千万を横取りし、鯖戸兄弟に働かされていた仲間達で山分けして人生をやり直す資金にしようとするが、仲間に裏切られ、その5千万を持ち逃げされて、ウシジマからその5千万の代償に、時給5万円で、ほとんどの人が1年未満で廃人になってしまう仕事をして返すように要求され、受け入れる。ウシジマは竹本を許したくなりながらも、最後は非情な闇金屋の立場を捨てず、竹本を”死の仕事”に送り出し、話は終結する。 

 

 

ヤクザや闇金界の恐ろしさや人間の欲の醜さをはんぱないリアリティで描ききる『闇金ウシジマくん』シリーズ。そのファイナルの本作では、初めて、その醜い部分だけでなく、人間の善意と金の欲に屈しない美しい心を徹底的に対立させて描いてます。

竹本は優しくて弱いだけの男ではありません。少しの金銭的余裕があれば人は変われる、と仲間が再出発できるようにウシジマの5千万を盗み、ウシジマに言います。

「ウシジマ君、強欲は罪だ、この5千万があれば、20人の人間が立ち直れる。融資してくれないか、必ず返すから」

と。勿論、ウシジマは金の事で温情をかけるような方針転換はしません。そのうち、仲間が自分を裏切り、ウシジマの金を盗んだ責任を自分一人が背負う事になったのを確信した後、それでも竹本は微笑みます。

そして、ラストで”死の仕事”に向かうバスに乗り込む前にも又、ウシジマに言います。

「僕と君たちは人間の善意について賭けをしたんだよ、今は負けたけど、ほんとに負けたとは思ってない。僕は死なない、廃人にもならない、1年後か10年後か、戻ってくる。その時の僕を見せにくる。未来の君たちの生き方を見に来る」

出典:映画闇金ウシジマくんザ・ファイナル』

 

ウシジマは決して酷悪非道な生き方をしてるわけではありません。職業こそ闇金という違法な仕事ですが、それで食っていくために、金を借りに来た人に、10日で5割の利息だという事を告知して金を貸し、貸した金額と利息をきっちり回収しているだけです。むしろ、欲や自己優先が当たり前の現代の人間社会の中では、まるでイエス・キリストがのり移ったかのように、自己犠牲をして善意の種をまき続ける竹本の方がずっと不自然な存在に感じます。どんな目にあっても善意の種をまき続ける竹本に、ウシジマは竹本の生き方の方が正しいのではないか、と疑い始めます。ラストは自分の生き方、自分の価値観に揺らぐウシジマの横顔の長写しで終わりますが、この表情がすごくいいです。ウシジマくんを演じてる時の山田孝之さん(34歳)は冷徹さを表現する為でしょうか、TVドラマのシリーズの時から、ずっと、常に無表情に徹してますが、このラストでは人間らしい苦悩や哀しみを堰をきってほとばしらせています。

ジョージアコーヒーのCMで、ある時は庶民的で暖かな笑顔の働くおじさん、ある時はコミカルなスパイと、いろんなキャラクターを上手く演じ分けているあの演技力。そして、このラスト……ほんとにこの人上手い。

 

 

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

  Vol.2

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 2017年日本公開

監督:ジェームズ・ガン(51歳)

脚本:ジェームズ・ガン

 

あらすじ

 

前作でロナンを倒し宇宙に名前が知れ渡った『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、ピーター・クイル、ガモーラ、ドラックス、ロケット、ベビー・グルートの5人はソヴリン人、アイーシャの依頼で彼らが重宝しているアニュラクス・バッテリー関連の施設を宇宙怪獣アビリスクから守る仕事を行う。見事にアビリスクを倒したクイル一行は報酬として前作において行方をくらましていたガモーラの妹であるネビュラの身柄を受け取る。クイルらはバッテリーを狙ってソヴリン人に捕縛されていたネビュラを惑星ザンダーに移して懸けられている報奨金を手に入れる算段だった。ソヴリンの惑星から宇宙船ミラノに乗って去ろうとするクイル達だったが、ロケットがバッテリーの盗みを行っていたことが発覚しソヴリン人の艦隊が襲い掛かる。ミラノは大破し、絶体絶命に追い込まれるクイル達だったがそこを小型の宇宙船に助けられる。

ミラノをなんとか別の惑星に不時着させたクイル達の前に降りた小型の宇宙船から現れたのはクイルの父を名乗るエゴという男とその世話係のマンティスだった。エゴは天界人という神に近い人物であり、数百万年という時を重ねて自身を惑星に進化させ、他の生命体を探すために人間の形態である分身を作って地球を含めた様々な惑星を旅していたという。当初はエゴの言葉を信用しきれなかったクイルだったがとにかくエゴ自身という彼の惑星にガモーラ、ドラックスと共に向かい、そこでクイルは天界人の能力の片りんを見せエゴが自分の父親であることを確信する。

一方、不時着したミラノの修理のために残されていたロケット一行の元にアイーシャからの依頼を受けて襲撃にきたヨンドゥ・ウドンタ率いるラヴェジャーズ一味が現れロケットは防戦するが拘束される。ところがそこでラヴェジャーズのテイザーフェイス率いる一派がヨンドゥらに反旗を翻す。彼らはラヴェジャーズの裏切者であるクイルに対するヨンドゥの甘い扱いに不満を持っていたのだ。膠着状態になったラヴェジャーズ一行だったがにベビー・グルートを唆して拘束を解いていたネビュラがヨンドゥを銃撃。自慢の矢のコントロール装置を破壊されたヨンドゥが敗北したことでラヴェジャーズはテイザーフェイス派の物になってしまう。ネビュラはヨンドゥを倒した礼として宇宙船を1隻受け取るとガモーラへの復讐のためにエゴの惑星に単身向かう。テイザーフェイスはヨンドゥ派のラヴェジャーズの一部のメンバーを抹殺すると拘束したヨンドゥとロケットを引き渡して懸賞金を得ようとするが、残っていたヨンドゥ派のクラグリンとベビー・グルートによってヨンドゥとロケットは脱出。ヨンドゥは試作の矢のコントロール装置を新たに取り付け、ロケット達と協力してテイザーフェイス派を粛清するとエゴの本性を知っていた彼はエゴの惑星に向かう。

 出典:ウイキペディア

 

評論家きどりで生意気な事を言わせてもらえるなら、『GotG』ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)は映画としては2作目より1作目の方が面白いです。

でも、2作目には映画としてのできなんか、すっとばしてくれるジェームズ・ガン監督の”温かい心”がぎゅうぎゅうにつまっているのです。

この作品のラストで、スター・ロードの育ての親ヨンドゥは”息子”の命を助ける為に死にます。

同じ親としてこのヨンドゥの気持ちは100%共感できます。同じ状況に自分が置かれたら、怖いけど、辛いけど、同じ事をしたい。できるような親でいたいです。

そして血のつながりなんて関係ないです。子どもの時から自分の人生の多くを犠牲にして育ててきた子、大切じゃないわけないです。

子どもがいないジェームズ・ガン監督がそれを分かってる事が不思議ですが、義理の親子関係についてだけではなく、普遍的なメッセージとして、この血のつながりより濃い心のつながり(他人同士のガーディアンズメンバーの絆も含めて)というのが、本作でジェームズ・ガン監督が言いたかった事だと言われてます。

ガーディアンズのメンバーは、みんな、辛い壮絶な過去を抱えています。1作目では、グルートとスター・ロード以外は、みな人の事は信用しない、人助けや人を信頼するなんてとんでもない、と思ってます。私はマーベルコミックスを読んだ事もないので、グルートについてはどんな境遇で育ったのか分かりません。(映画の中で言われていた高貴な血筋という事しか)でも、スター・ロードについてはこの映画のキャラクターとして知るかぎり、8歳で孤児になり、宇宙に誘拐された。そして荒くれ者の海賊達の中で泥棒に加担させられながら育ち、普通にチンピラになった、と理解してます。でも、不良で、女たらしで、いい加減なチャラ男だけど、心はとても優しいのです。1作目では、宇宙空間にシールドなしで放りだされてほっておくと死んでしまうガモーラを助ける為に、2作目でヨンドゥがやったのと同じように、自分のシールドをはずし、ガモーラにつけてあげます。すぐにヨンドゥの宇宙船が自分とガモーラを回収しに来る事を予測しての行為ですが、人間不信の他のガーディアンズはもとより、この作品中の、宇宙で自分の命を守るために汗水流している他の登場人物達にはやれない自己犠牲です。又、ロナンが滅ぼそうとしているザンダー星の人々を助ける為に、わざわざ、勝率 12%の戦いに身を投じていくお人よしです。

私は、スター・ロードのこの善良さは義理の父ヨンドゥに心から愛され、可愛がられてきた”育てられた環境”が生んだものだと思います。(ただ、「食べちゃうぞ」みたいな子どもにとっては怖いだけの下手な冗談を聞かされて育ったので、愛されているという実感は薄い)

スター・ロードは他のガーディアンズのメンバーに比べたら、とても幸せだったのです。自分のために命を捨ててくれる人に育ててもらったのだから。

『GotG』Vol.2のラストでスター・ロードはやっとその事に気がつきます。

「自分はずっと、自分の本当の父親を、それが理想のカッコイイ父親であることを追い求めてきた。でも、本当の、そして理想の”クール”な父親はずっと自分の近くにいたヨンドゥだったんだ」

と。

「探しているものは近くにあるのだ」

と。

 

 

ヘルボーイ』 

 

「ヘルボーイ」の画像検索結果

 

2004年日本公開

監督:ギレルミ・デル・トロ

          (53歳)

脚本:ギレルモ・デル・トロ

原作:マイク・ミニョーラ

          (57歳)

クリーチャーデザイン:マイク・ミニョーラ

 

あらすじ

1944年、第二次世界大戦における敗色が濃厚であった旧ドイツ軍は、形勢逆転のため「ラグナロク計画」を実行に移そうとしていた。しかしブルーム教授を含むアメリカ軍がこれを阻止、計画の中心人物であったラスプーチンは魔界への入り口に吸い込まれていった。だが、長時間に渡って魔界への入り口を開けていた結果、地上に悪魔の赤ん坊が迷い込む。ブルームは全身が真っ赤なこの赤ん坊を“ヘルボーイ”と名付け、育てる事を決意する。

時は流れ60年後、ヘルボーイは超常現象調査防衛局(BRPD)のエージェントとして超自然的な存在と戦い続けていた。 ある日、博物館に強力な悪魔サマエルが出現。ヘルボーイは苦戦を強いられるもこれを撃退した。 その直後、ブルームは半魚人であるエイブ・サピエンが持つサイコメトリー能力により、ラスプーチンが復活した事を知る。ヘルボーイは事件を調べるうち、自身の出生の秘密と、巨大な右腕の意味を知る。

出典:ウイキペディア 

 

正統派アクション映画や正統派ヒーロー物に興味がない私は、お恥ずかしい話ですが、ずっと、ヘルボーイは主人公が、とてもいかつい男というだけの映画だと勘違いしてました。ゆえに食わず嫌いしていて、最近、初めてこの作品を観て、

「うわっ、これ、すごい好みだわ」

と、べた惚れしてしまいました。

主人公が、分かりやすい善人じゃないとか、ヒーロー映画のヒーローが全然ヒーローぽくない、とかってのに本当に弱いです。

『GotG』

にはまったのも、主役のスター・ロードが頼りなくて、いいかげんで、ガーディアンズのリーダーにはとうてい適してないようなチャラ男だから、という所から入っていて、

”普通じゃない”っていうのにキュンキュンしてしまう生癖の持ち主には、正統派超人物の『XーMEN』よりも、ずーっとこっちの超人達の方が魅力的です。

赤鬼のヘルボーイととってもキュートな半魚人エイブの組み合わせも最高のビジュアルなのに、二人が戦う敵側のいろんなビジュアルの怪獣、半人半怪物達の造形美を見ているだけで、豪華な映画を堪能しているという満腹感でいっぱいになります。

続編のヘルボーイ/ゴールデン・アーミー(2009年日本公開)では、更にその造形美や特殊メイク、VFXに磨きがかかっていて、本当に、これ、10年も前の作品なの?と信じられない位凝ってます。

 

 

 

とか

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とか

「ヘルボーイ2」の画像検索結果

とか

 

 石の大きな巨人は「アルゴ探検隊の大冒険」に出てくる青銅の巨人タロスへのオマージュ

とか 

 

映画で怪獣たちのデザイン、背景までも担当したという原作者のマイク・ミニョーラ氏の才能に脱帽です。

ただ、そういう造形美にこだわるデル・トロ監督の凝り性がわざわいして、ヘルボーイ3作目は、膨大な製作費にNGがでた為、制作がおじゃんになったそうです。そして、デル・トロ監督やこの赤鬼のロン・パールマン(67歳)抜きで、別の筋の方で、ヘルボーイがリブートされ、来年公開予定だそうです。

最近はやりのCGだらけのスタイリッシュすぎる映画になっちゃったら、つまんなそうだな、と思いますが。

 

ついついヘルボーイの造形美の話になっちゃいますが、今回大事なのは、

この造形美の凄さだけで終わっちゃいそうなこの作品にも、個人的な感動ポイントがあった事でした。

ヘルボーイのラストで語られるセリフ

「人格や個性は何で決まる?出生や育った環境なのか?いや、何を選択するかで決まるんだ。出生や環境でなく後の人生をどう生きるかで」

出典:映画ヘルボーイ

地獄からきた悪魔の子、ヘルボーイは元の運命に従って、人間を滅ぼして、この世を地獄に変えるのではなく、人間世界で、人間を悪魔の脅威から守り、人間らしく生きていく方を選んだ。運命に従わず逆の生き方を選んだ。

人はどんな人生も自分の意志で選び、変えていけるのだ。