映画についてのよけいな事 

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優等生映画『ドリーム』に感じた違和感

『ドリーム』及びシェイムレス』のネタばれあります。


このブログは、負け犬のおばさんのひがみとか泣き言を綴るブログに化してしまった感満載なので、今回も負け組側から感じるHAPPY SUCCESS大団円映画に感じる不自然さについて、主張したいと思います。

『ドリーム』(2017年日本公開)

監督:セオドア・メルフィ
脚本:アリソン・シュローダー
   セオドア・メルフィ
キャサリン:米国初の有人宇宙飛行計画の成功に多大の貢献をした。白人、黒人、インデアンの混血児
   タラジ・P・ヘンソン   
ドロシー:NACA(NASAの前身)で黒人女性で初めてスーパーバイザーになった。
   オクタヴィア・スペンサー 
メアリー:NASAで黒人、女性で初めてエンジニアになった。
   ジャネール・モネイ 

映画『ドリーム』予告A

あらすじ

1961年のバージニア州ハンプトン。アメリカ南部において、依然として白人と有色人種の分離政策が行われていた時代。優秀な黒人女性のキャサリンは、同僚のドロシーとメアリーと共にアメリカ南東部のラングレー研究所で計算手として働いていた。

ソ連人工衛星打ち上げ成功を受けて、アメリカ国内では有人宇宙船計画へのプレッシャーが強まっていた。そんな中、キャサリンは上司のミッチェルからスペース・タスク・グループ(英語版)での作業を命じられた。図らずも、キャサリンはグループ初の黒人でしかも女性スタッフとなったのだが、劣悪な環境に苦しめられることとなった。

キャサリンに対する同僚の反応は酷いもので、エンジニアを総括するポールに至っては露骨に嫌な顔をし、機密であるとしてキャサリンに黒塗りの資料しか渡さなかった。計算部の代理スーパーバイザーであるドロシーは、事実上の管理職として自身の昇進を願い出ていたが、白人女性のミッチェルに前例がないという理由で断られていた。

また、メアリーは実験用の宇宙カプセルの耐熱壁に欠陥があることに気がついていたが、上司からのエンジニアへ転身する勧めを「女で黒人でエンジニアになることはできない」として諦めかけていた。エンジニアへの転身には、学位が必要だったが、そのためには白人専用の高校に通わねばならなかった。

ついに「マーキュリー・セブン」がラングレーに異動してくる。黒人たちは彼らに接触できないよう、歓迎の場も分けられていたが、ジョン・グレンは彼女たちに親しく接し、感謝を述べた。

キャサリンは黒塗りの資料にも関わらず、正確な解答を導き出し、やがて上司であるハリソンも彼女の能力を認める。メアリーはついに裁判所に訴えを起こし、通学の権利を勝ち取る。そしてドロシーは、最新型コンピューターIBMの導入を見、計算手が解雇されることを見越して、自らコンピューター工学を学び、黒人女性計算手達に教える。

ソ連との宇宙開発競争の中、ついに1961年4月12日、ソ連ガガーリン少佐はボストーク1号で有人宇宙飛行に成功する。マーキュリー計画の続行も危ぶまれるが、5月15日、ジョン・F・ケネディ大統領は月面着陸を目指すと表明する。計画の続行に関係者は安堵するが、スペース・タスク・グループの仕事も多忙を極めていく。

そんなある日、キャサリンが席を外したことをハリソンは叱責する。キャサリンは、自分が800m離れた有色人種用トイレに共用自転車を使えず徒歩で往復しなければならないこと、職場の服装規則である真珠のネックレスを買えるほどの給与を得ている黒人女性がいないこと、珈琲ポットさえも人種分けされ、のけ者にされていることを逆に大声で訴える。せめて日に数度、席を外すことは許して欲しいと。ハリソンは程なく、「有色人種用」のコーヒポットや看板を無くし、NASAから人種差別を撤廃させようとする。

キャサリンは、やがて重要な会議にも出席し、席上で見事な計算をして落下位置を予測してみせ、その能力でグレン達宇宙飛行士の信頼を勝ち取る。そしてジムと再婚し、ハリソンから真珠のネックレスを贈られる。一方、ドロシーは予想通り、コンピューター技術者として引き抜かれるが、他の女性計算手も一緒でなければ応じないと強硬姿勢を見せる。しかし彼女達しかIBMを使いこなせず、その要求は認められただけでなく、白人女性たちも彼女に教えを請いに来た。メアリーの通学に反対していた夫も、やがて彼女の努力を認め応援するようになる。

1962年2月20日、ついにアメリカはマーキュリー・アトラス6号打ち上げの日を迎える。グレンはコンピューターの計算に不安を感じ、キャサリンの検算を要求する。検算の結果、無事に打ち上げられ、落下位置も計算通りだった。

エピローグで、ドロシー、メアリー、そしてキャサリンのその後の活躍が紹介される。


出典:ウィキペディア




私は人が言った事とか、やった事をよく覚えていて、それを基に、この人は、こういう性格なんだろうな……
と独断で類推して楽しむ癖があります。
で、以外とそれが当たってる事が多いので、ますます人間:ウォッチングに傾倒してしまったのですが、数字、機械に人並み外れて強いとか、物理学が大好きとかいう方には、にじみ出るような情の深さを感じない、女性だと、あまり、母性を感じない人が多い気がします。(100%独断です)
決して女らしくない、とか、優しくない、とかではないです。

でも、"母性"というか、清濁合わせて呑みこめるような部分、理屈や理性とは、真反対の感性は感じられないのです。
例えば保育師とか幼稚園教諭、カウンセラーみたいな職業、相手の心に寄り添い、見守り、良い所も悪い所も受け入れるという技能が必要な職業の方々には、理系脳の人はいないと思います。答は一つしかない、と言うのが好きな人には、耐え難い仕事だから。
(もし、自分は完全理系だけど、そういう職業だよ、という方がいらっしゃいましたら、ブログの1番下のコメント欄に何でもいいので言いたい事書いて下さい)

主人公、キャサリンと3人の娘との寝室でのやり取り。
残業して遅く帰って来たキャサリンが、娘達がもう寝てる筈の寝室に行くと、二つしかないベッドの上で3人が喧嘩しています。
次女と三女が、
「長女だけ1人で一つのベッドで寝て、自分達は、2人で一つのベッドなんて、ズルい」
と文句を言い、争ってるのです。
キャサリンは、子どもを頭ごなしに叱りつけたり、無理やり喧嘩をやめるように命令はしません。
彼女が、次女と三女に、
「長女みたいに、皿洗いやゴミ出しを手伝ってくれるなら、1人一つのベッドで寝ていいわよ」
と言うと、次女と三女は、即座に納得して、2人で一つのベッドに横たわります。この行動も、7年間、子ども相手の仕事をしてた私からすると、子どもらしくない妙に物分かりが良すぎる行動に感じますが、キャサリンの、その機転のきいたセリフは、ベテラン保育士が子どもを扱う時に使う様な、本当に100点満点の接し方だと思いました。
その後も、
「ママは宇宙飛行士になるの?」
と聞かれ、
「違う」
と答えると、三女が
「ママは宇宙飛行士になって宇宙に行ける」
と言いながら、キャサリンがロケットの中で宇宙飛行士になってる絵を差し出します。キャサリンはそれを嬉しそうに(なふりをして)受け取り、「ありがとう」とか「愛してる」とか言って、他の二人にも同じアメリカ式のおやすみの儀式をして寝かしつけます。
移動したばかりの、なれない、そして周囲は敵ばかりの職場で、遅くまで残業してきて、子どもにこんな100点満点の対応ができる女性って、この世にどれぐらいいるでしょうか?保育士のお母さんだってできないかもしれない……しかも彼女の場合、普通の女性でも、ただのリケジョでもないのです。何百人に一人というレベルの数学の天才なのです。
そこまでの天才で、社交的で誰にでも優しくて、子どもの扱いも保育士並みに上手な女性ってありえますか?実生活では勿論、映画やTVドラマ等のフィクションの世界でも見た事ないです。
TVドラマケイゾク(1991年、TBS系金曜ドラマ)のヒロインは、身なりにかまわない理系オタクだし、『SPEC』(2010年~ TBS系ドラマ)のヒロインも、協調性ゼロの非常識人で、天才ってやっぱ”どこか欠いてる”のが、お約束ってのが多いし、又、そういうキャラクターゆえに魅力的なんじゃないでしょうか?
又、この作品の肝である1961年当時の米国内での黒人差別についても、
作品中では、人種差別を強調する為に、NASAの敷地内で、白人と黒人はトイレが別だったと、フィクションされ、キャサリンが遠くのトイレまで行かないとならず、とても苦労させられたという話になってますが、ネットで調べたら、実際には、1958年に差別トイレは撤廃されていたそうです。ただ、それでも、黒人と白人が別のトイレを使う事が暗黙の了解になっていたそうですが、キャサリンはそれを無視して、白人が使うトイレを堂々と使っていたそうです。

又、作品中では、ドロシーは有人宇宙飛行が成功した1962年にやっと、黒人として初めてスーパーバイザーになった事になっていますが、実際には、1949年にはスーパーバイザーになっていたそうです。
シェイプ・オブ・ウォーター(2018年日本公開)では、有色人種は米国国民じゃないと規定され、人間扱いされていなかった為に、政府の秘密研究所で清掃員をしてました。そんな非化学的、非合理的な差別社会の時代に、黒人女性がスーパーバイザーになれるNASAの、科学的に先端だっただけでなく思想的にも合理的でリベラルだったという部分、そして、キャサリンの、非合理的な慣習を無視して堂々と行動する勇気と先進性を描く事の方が黒人差別を描くよりずっと大事ではないか、と感じました。

黒人て、差別されててかわいそうだったんだなぁ、という安っぽい感傷より、時代の先端を行く人々の、
「精神的にも偉大だった部分」
を見せてもらった方が感動が深くなったと思います。

第89回アカデミー賞の作品賞、助演女優賞、脚色賞にノミネートされ、米国の大手批評サイト、Rotten TomatoesのTOMATO METER(プロ批評家の評価枠)と、AUDIENCE SCORE(一般人の評価枠)…両方が93%の高評価で、日本でも大勢の方が2017年のBESTと称賛する作品。
人種差別や女性蔑視と戦い、科学の分野で偉業をなしとげた3人の女性の、普通に考えたら、感動必至な作品。
でも、その女性達が、数学において、突出した才能がある為に、それとひきかえに、対人コミュニケーションに難あり、とか、頭が良すぎる為に普通の人と違う事をしてしまい、誤解されて苦労する等の陰の部分は全くなく、一生懸命仕事してたら、順調にいって成功しました、という明るくて綺麗な話だけで終わってしまっているので、負け組のおばさんには、カタルシスも、涙がこぼれる程の感動もなく、観終わったらすぐに忘れられそうな作品でした。

伝えたい事が違うからなんでしょうか、ビューティフル・マインド(2002年日本公開)(これも、実在の偉人の話で、都合の悪い事は隠してはいるのですが)や『グッド・ウイル・ハンティング/旅立ち』(1998年日本公開)のような存在感はありませんでした。


シェイムレス 俺たちに恥はない』


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今、WOWOWで、シーズン7を放映中の米国ドラマシェイムレス』にも、天才が出てきます。
シカゴのサウスサイド、低所得者の町で、育児放棄、無職、クスリや酒びたりの両親に育てられ(育ててないが)掃きだめの中で、悪知恵と家族愛&友情、そして人間としての良心を武器に、逞しく生き抜いているギャラガー兄弟。
その長男フィリップ(演じるのはジェレミー・アレン・ホワイト 27歳。 写真の向かって左から4番目の人)はろくに勉強できない環境にいるのに、いたれりつくせりの教育を受けている上流家庭の坊ちゃん、嬢ちゃんに軽く勝ってしまう頭を授かった天才タイプです。兄弟や地域の期待を背負って奨学生待遇で入った大学で、(この人、背も高くなく、とびぬけてイケメンじゃないのに何故かもてる)熟女教授と学内でメイクラブしてるとこを見つかり、厳重注意されたのに、掃きだめで育ったせいか、グズ人間の父親の遺伝なのか、その後も大人しくなるわけもなく次はアルコール中毒による暴力ざたを起こして、とうとう退学になります。でも、彼の事を「掃きだめで終わるのはもったいない」と、買ってくれてた別の教授の世話で、アルコール矯正施設に入り、依存症を克服した後、その教授の働きかけで、大学の諮問会を開いてもらい、復学できるか、協議してもらいます。
が、結果は本人や教授の予想に反して、復学は不可、一度復学を期待してしまったフィリップは大きく気落ちして、又荒れた生活に戻ってしまいます。
というわけで、人生に、劇的な、道徳的な解決はない、というダルデンヌ兄弟是枝裕和監督風のストーリーがこれでもか、とテンコ盛りに続いていきます。
やっぱ、私ってそういう作風が好きなんだなあ……と改めて思いました。
ちなみに邦題が「センス悪い」と評判が良くない、この『ドリーム』(これは作品の制作スタッフのせいではなく、原題の『Hidden Figures』をこの題名に変えて公開した20世紀フォックスが悪いんですが)に比べて、ダルデンヌ兄弟『ある子供』(2005年日本公開)とか、是枝監督の『誰も知らない』(2004年公開)やそして父になる(2013年公開)は、ほんとにいい題だなあ、といつも思います。媚を売らないドキュメンタリー寄りのクリエーター達のセンスって粋です。