映画についてのよけいな事 

練りきり作りましょう!

祝デル・トロ監督! がんばれ異形の者たち

アカデミー賞作品賞受賞

おめでとう! 

シェイプ・オブ・ウォーター

おめでとう!

ギレルモ・デル・トロ監督

 おめでとう!

この作品の制作にゴーサインを出した

FOXサーチライトの方々

 

アカデミー賞の中継番組でゲストによばれてた映画評論家の町山智浩さん(55歳)。彼はデル・トロ監督と友達なんだそうですが、その彼が、シェイプ・オブ・ウォーターの作品賞受賞を受けて、

ゴジラでもウルトラマンでも取れなかったのに……」

と、男泣きするのを見て、私も、もらい泣きしてしまいました。

デル・トロ監督(53歳)の監督賞受賞には誰も驚かなかったでしょうが、『スリー・ビルボード』に勝って作品賞取るなんて……

私はデル・トロ監督の作品は、シェイプ・オブ・ウォーター含め3作しか観てませんが、何故か、この人を含めたメキシコ出身の3人の監督、アレハンドロ・イリャリトゥ(54歳)、アルフォンソ・キュアロン(56歳)のスリーアミーゴスは応援したくなります。

キュアロン監督作品はそうでもないですが、デル・トロ監督の作品は私が観たパンズ・ラビリンス(2007年日本公開)クリムゾン・ピーク(2016年日本公開)そして本作(3/1~公開中)ともおとぎ話+哀愁だし、イリャリトウ監督のも、『21グラム』(2004年日本公開)や『ビューティフル』(2011年日本公開)、『レヴェナント』(2016年日本公開)とか、哀愁を帯びたトーンのが多くて、メキシコって太陽がサンサンと照りつける明るい気候の陽気な国民性のように思えるのに、何故そんな国からこんなに哀愁を帯びた作品を作るクリエーター達が出るんだろうなぁ……それはメキシコの映画学校の先生が言っていた「メキシコには92(数字はうろ覚えです)の異なった文化があり、メキシコ人は幼少から様々な異なった文化や価値観を受け入れて育つ」という事と関係があるのでは?と思います。一面的でない多様な芸術性や価値観。美男美女達の豪華絢爛な王道ストーリーしか作れないハリウッドの資本主義に反するセンスは世界中の映画ファンに歓迎されているんじゃないかって思います。

この『シェイプ・オブ・ウオーター』も、最初はハリウッドの大きな映画制作会社が、金を出すかわりに、「ヒロインをもっと美人にしろ」と言ってきたそうです。で、そうきたら、次は「この半魚人を実はハンサムな王子様でしたっていう風に変えろ」と言ってくるかもしれないと、警戒したデル・トロ監督はその大手制作会社と手を切ったそうです。

彼はディズニー制作の美女と野獣みたいな作品には絶対したくなかったそうです。だって、人は見た目じゃないよ、っていうテーマなのに、結局は見た目のいい王子様に戻るのはおかしいから。

そして、製作費を捻出するために自腹をたくさん切って、その信念を貫き通して作った、美男美女がでてこないロマンス映画がアカデミー賞の、ハリウッドの価値観の最高峰に立ったのです。監督の友達の町山さんじゃなくたって泣きますよ。

シェイプ・オブ・ウォーター

という題名もとても凝ってますよね。美女と野獣みたいなそのものずばりの野暮な表現ではなく、『水の形』という題名の中に、

「愛は、水のようにどんな形にもなる」

「水の形のような目に見えない物の中にある美しさ」

を意味しているそうです。

以下、部分的なネタばれ付き 感想です。

 

シェイプ・オブ・ウォーター

監督:ギレルモ・デル・トロ

脚本:ギレルモ・デル・トロ

   ヴァネッサ・テイラー

 


『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編

 

あらすじ 

1962年、アメリカとソビエトの冷戦時代、清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザ(サリー・ホーキンス)は孤独な生活を送っていた。だが、同僚のゼルダオクタヴィア・スペンサー)と一緒に極秘の実験を見てしまったことで、彼女の生活は一変する。 人間ではない不思議な生き物との言葉を超えた愛。それを支える優しい隣人らの助けを借りてイライザと“彼”の愛はどこへ向かうのか……。

 

  出典:Filmarks

 

半魚人(ダグ・ジョーンズ 57歳 半魚人の姿なので本人とは分からない)と恋に落ちる人間の女性、40歳の掃除婦、イライザ(サリー・ホーキンス 41歳)は初めて半魚人を見た時から全く彼を恐れませんでした。いくらイライザが捨てられた孤児だから孤独で、口がきけない障がい者だから世間でつまはじきされているからといっても、突然、まじかであの半魚人を見て、あの鳴き声を聞いたら怖がるでしょう……と最初は不自然で仕方ありませんでしたが、途中で、ああ、これは、イライザも彼と同じような怪物="異形の者"のように、人々から見られて生きてきたという事を象徴してるんだなと感じました。(正確には異形ではなく"異態"と言うべきでしょうが)

イライザは言います。

「言葉を喋らない彼が私を見る目は、口がきけない不完全な私ではなく、ありのままの私を見ている目だ」

と。

そんな目で見てくれたら、怖いなんて、全く思いませんよね。

この作品は大人のおとぎ話だと言われてますが、この2人の恋はまさにそうです。

だって、日々、大人として地に足をつけて堅実に生きているけど、自分のかたわれのような人に出会えて、そ の人と人生を共にできたらいいな……と思った事ありませんか?


イライザのお隣さんで親友でもあるう老画家ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス 70歳)も半魚人を異形の者、得体のしれない不気味な者という視線では見ません。この老画家もゲイとして異形の者とみなされて生きてきたからでしょう。又、芸術家として「何て美しい生物なんだ…」という感性で彼に接します。

イライザの同僚ゼルダ(オクタヴィァ・スペンサー 47歳)も半魚人の事を恐れたり、さげすんだりしません。イライザも黒人のゼルダも普通の人々が寝静まった夜中の間、極秘研究所でエリート白人達が汚した床やトイレの尿をふいたり、汚い物を始末する仕事をして生きている片隅に追いやられた側の人間だからでしょう。

この脚本て、本当に上手いよなぁ、と思うのは、半魚人の命を助けて海に逃そうとするイライザ達と敵対するエリートで、名声や出世が大好きで失敗する事が大嫌いな軍人ストリックランド(マイケル・シャノン 43歳)が、何から何までイライザ側の人々とは正反対な事です。気持ちがいいくらい正反対です。なので、憎むべき大悪役なのに、感情移入できちゃいます。この作品は誰一人として感情移入できない人はでてきません。そういう所もまた凄いです。

舞台は1962年のアメリカ。女性の地位も低く、黒人への差別も露骨にあった時代。デル・トロ監督によると、この時代、アメリカ人というと白人を指しその他の人種は"The Others"と呼ばれてたそうです。だから、白人以外は政治的な発言権もない為、黒人やラテン系の人々が、もし、[公にできないような事]を見聞きしても告発なんてできないだろうという推察により、この極秘研究所の清掃員達に黒人やラテン系の人々が雇われているんだそうです。

障がい者への差別も、今の時代の比ではなかったでしょう。LGBTへの偏見も、(町山さんの解説によると)その時代、警官が理由なくゲイ達をボコボコに殴っても許されたくらい酷かったそうです。

そして"The Others"ではないアメリカ国民の間では、国を挙げての共産主義国への嫌悪やライバル心が浸透していました。

そんな時代に、白人の男として生まれ、出世や名声を望み、それを手に入れる為に自分を叱咤激励して、必死に階段を昇ってきたストリックランド。愛読書は当時ベストセラーになっていた『The Power of Positive Thinking』です。トランプ大統領が信望している本だそうです……上手い!上手すぎる……

そんなストリックランドにとって、未開のアマゾンで発見された半魚人はたんなる怪物、研究材料で、人間扱いするなんてとんでもない。米国の利益と自分のキャリアの為に、研究材料として、殺して解剖する事に何の罪悪感も感じません。イライザやゼルダを「尿を拭き、糞の始末をする奴ら」とこれも又、人間として見てません。

それなのに、グラマーでも美人でもない、口もきけない障がい者と見下しているイライザに、心の片隅で惹かれてしまうのです。イライザを抱いて、喘ぎ声を聞いてみたい、と。明るくて力強くて地位の高い物に憧れ、手に入れる事が人生の目標なのに(彼の上品で若くて美しい白人美人の奥さんはそういう価値観の象徴のようです)その一方で、真反対の暗くて弱くて卑しい(と彼が思っている)物に強く興味をもつのです。もしかすると、イライザの事を家畜のように痛めつけて、その姿を見てみたいのかもしれません、半魚人の事も、電流の通った棒で殴って虐待してましたから。自分よりはるかに下等な生物だと思っている半魚人やイライザの自分を見る目の中に、軽蔑の色を感じて、悔しくて憎くて、だから"そいつらを征服した"という気分を味わいたいのかもしれません。いずれにしろ、イライザに強い執着がある事に変わりはありません。この人間としての不思議さ、奥深さを含めて、ストリックランドに非常に生々しい人間臭さを感じて、軽蔑する一方ですごく理解できます。

人間らしい、本当にいい悪役でした。私はアカデミー賞助演男優賞候補は老画家ジャイルズではなくこのストリックランドの方がずっと敵してたと思います。

本当に、本当に深くて、色んなメッセージ、色んな価値観を含んでいるシェイプ・オブ・ウォーター。本作が作品賞を取った事は他の意味においても、とても大きな価値があるようです。

怪獣映画でも作品賞が取れるんだ、もう世界はそこまできたんだと。

そして変わり者、変わった物が好きな人達はこれからは胸を張って、変わった物への愛情をきわめたり、デル・トロ監督のようにその愛情を仕事に注げば、それが、いつか大勢の人に支持され、認められる、そんな明るい楽しい可能性が大きく開けたんですね。

そして、「"異形の者"とされてきた人々、変わり者も、障がい者も、マイノリティも、移民も、この世界の上で胸をはって堂々と生きていいんだ、そういう世界にしなきゃいけないんだ」と、あの見るからに優しそうなデル・トロ監督が伝えてくれてる気がします。

 

  

 

おまけ

スリー・ビルボード

マーティン・マクドナー監督、アカデミー賞では冷遇されてましたね。

脚本賞だけは確実だと思ってましたが、黒人差別を肌で感じて生きてきた米国人が自国の問題を描いたゲット・アウトの監督ジョーダン・ピールに横取りされてしまいましたね。

深読みしちゃって、

「外国人の貴方(マクドナー監督は英国人)に、自国の抱える人種問題とか、分断とかの深い悩みをそんな簡単に分かったような風に描いてほしくない」

と思われたのかなあ……なんて考えるとちょっと面白かったです。