変態が全身全霊を注いで作った映画は道徳のお手本のような作品だった。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.2』
『インフィニティ・ウォー』
のネタバレがあります。
子どもへの性犯罪や虐待や、児童ポルノや、とにかく被害者が子どもという場合の罰則や社会的制裁がとても厳しい米国。
(にもかかわらず、ハリウッドの大物プロデューサーや製作者の中には小児性愛者が多くて、自分の子どもを子役として売り出したい親が、影で、子どもをそういう人達にさしだしていて、それは公然の秘密になっている、という話を聞いた事があるけれど)
でも、私は米国と違って、
男性小学校教師が女子児童にわいせつ行為をしても、校長がもみ消してくれれば、学校を転勤させられるだけで、何の社会的法的制裁も受けず、のうのうと先生の仕事をしてられるような日本に住んでいるので、ペドペドとジェームズ・ガン監督が、たたかれまくっても、正直、軽蔑する気になれない。
ガン監督は、言いふらしただけだけど、実際に、女子生徒に、触ったり、セクハラしても、上層部にもみ消してもらい、何のお咎めもなく仕事を続けていた男の先生を何人も知っている。
もしかしたら、ガン監督も、10年前に実際に小さな男の子にわいせつ行為していて、それを最近になって脅迫されたのを、ディズニーが口止め料を払って始末をつけた、という事が背後に隠れてるのかもしれないが、事実として耳に入ってこない以上、ガン監督を嫌いにはなれない。
もう一つ、彼を軽蔑する気になれないのは、私が『GotG』シリーズのロケットみたいな性格だからである。
彼のように人々から酷い目にあってひねくれたわけじゃない。
ロケット程の辛い経験(普通いのアライグマとして家族と平凡に暮らしてたのに、人間の科学者達の実験台にされて、人間とアライグマの合体したサイボーグにされ、普通のアライグマとして暮らす事もできなくなり、下等な生命体と呼ばれ、蔑まれて生きる事に)
なんてしていないのに、自分を負け組と思いこんで、すぐに、ひねくれたり、しょっちゅう他人の事をひがんでいる。
そういう世間と、そして人生と上手くやれない性分の人間だから、ガン監督が、
自分自身が持つ大きな闇をキャラクターに投影し、自分と同じ登場人物が仲間達の優しさとか、人間の良心の尊さに感化されて変わっていくドラマを見せてくれると、孤独が吹き飛ぶのだ。
以前、彼の特異な作風が、どんなバックグラウンドからきているか、という記事がBuzzFeedというニュースサイトに掲載されたのを、ガン監督や俳優のマイケル・ルーカー(『GotG』のヨンドゥ)のファンの方が、訳してくださった内容が、まさに、彼の性格とそれが作品にどんな相乗効果を与えているかを明確にしているので、そこから抜粋してみました。
ガンは彼の意地悪で攻撃的なユーモアセンスに、人から全くのクソ野郎だと思われようが気にしない、というよりある意味そう思われる事を選んでいる、という解釈を与えた。彼はロケットを最新の、最もアライグマなバージョンの"ジェームズ・ガン"にしたのだと言えなくもない。
「100パーセント今まで書いた中で一番パーソナルなキャラクターだよ」まるでそのキャラクターを抱き寄せるかのように胸の前で両手を握り合わせながらガンはやさしく話した。「彼は最高に僕自身だ。それについてはあまり語る事すらできない。確実に。確実に。彼は僕なんだ」
毛皮で覆われた人間嫌いの彼が他人と誠実で感情的な繋がりを持つ事の良さを少しずつ理解し始める中で、ガンは彼とロケットとの繋がりを『ガーディアンズ Vol.2』でなおいっそう探求した。『ガーディアンズ』のキャラクターたちが互いにシェアしている擦り切れた家族の絆は彼らが認めるよりも極めて重要であるという意識は、驚くべき深い思いやりの泉で映画全体を満たしている。「彼がまだ脚本すら書いていない段階でアイデアを投げ掛けてきた時、感動で涙が出た」とプラットは言う。
注:プラット=クリス・プラット
「のけ者で、人生で周囲となじんだ事がなかった人の気持ちがわかる」と彼は言う。「『ガーディアンズ』はそういう人に語りかけているんだ。僕にとってエンターテインメントがなしうる最高の事はそれなんだよ。それが僕がアリス・クーパーやジョニー・ロットンを大好きだった理由だ。僕はミズーリのマンチェスターでめちゃくちゃな人たちに囲まれて暮らすクソ孤独な子供だったからね。アリス・クーパーのレコードを聴いて『わあ、この人は僕と同じくらい変なヤツだな、でも遠いところにいる』と思ってた。だけど彼は僕の孤独を和らげてくれた」
「ジェームズにはとても刺々しくて尖っていて変わったパンクな要素がある」とガンの友人でありマーベル・スタジオズの旅の道連れであるジョス・ウェドンは話す。「彼は本当に愉快だし作品にはとても温かみがあるが、そこには闇があるんだ」
その闇はガンの人生のほぼすべての面について回り、時に彼の大きな悩みの種となり、たびたび彼が自ら呼び込んだ。それはまた彼の転々とするハリウッドのキャリアの燃料となり、最初にマーベルを惹きつけた映画制作の形を作る手助けにもなった。
「マーベルを落としたmaniac」[
「RE-HIRE JAMES GUNN」の署名が、30万を超えたからと言っても、この先、万が一、100万人の署名が集まるような事があったとしても、ディズニーの決定は覆えらないだろうと言われている。せめて、ガン監督が完成させたシナリオはそのまま使って欲しいと願ってるけれど、それも難しいといくつかの記事に書かれてる。
だから、今後作られる(としたら)『GotGVol.3』が、どんなに面白くても、ガン監督の笑いじゃないし、ガン監督の人間描写じゃない、だいいち、『インフィニティ・ウォー』で、ロケット以外はこの世からいなくなっちゃってるのに、そこからどう復活させるのか?そんな状況を、あっと言わせるような展開で、なおかつ説得力もある(これが大事なのだ)話にできるのは、ビョーキと健全な人間の境目のセンスを持つジェームズ・ガンじゃないとできないだろう……
というわけで、愛すべきGotGVol.1と2はこの先、凄いお宝になるだろうと思い、見返してみた。
多くの評論家が採点しているように、 MCUのシナリオライター、ニコール・パールマンとガン監督が共同脚本したVol.1の方が、起承転結がはっきりして、バランスがとれてて面白いけれど、脚本から監督まで、100%made of James GunnのVol.2は、
過去に小児性愛やレイプ賛美の病的願望を嬉々としてさらけだしていた変態が作った映画は、
道徳のお手本のような作品だった。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.2』
2017年日本公開
監督、脚本:ジェームズ・ガン(51歳)
道徳のお手本のようなシーン
① 実の父親エゴにバッテリーにされて、半死半生状態になっていたスター・ロードをヨンドゥ含むガーデイアンズメンバーが助けて、そのまま逃げようとした時に、スターロードが
「エゴは宇宙を滅ぼす気だから殺さないと」
と言って、又、死闘必死の戦場にみんなで戻る。
②エゴのセリフ、
「生命の真の目的は他の生物と共存する事ではない。私は生命の真の目的をはたす為に全ての物を覆いつくし、最後は全ての物が私になる」
という思想とそれが、正しい事で、
「息子をその正しい方向へ導くのが父親の役目だ」
と自信たっぷりに言うエゴの選民思想の異常さ。
③エゴが戦いながら、スター・ロードに、
「自分を偽るのはもうよせ お前は10億に一つ、1兆に一つの存在
永遠の命以上に意味のあるものがあるか?」
とか、言い続ける。
そして、ガーディアンズ達の作戦で、エゴが自分の星もろとも爆発してしまうと気がついた時にスター・ロードに言うセリフ、
「聞け!お前は神なんだ。私を殺せば普通の奴らと同じになる」
そう言われて返すスター・ロードのセリフ、
「それの何が悪い?」
④血のつながりがない赤の他人の子ども(スター・ロード)を慈しんで愛情かけて育て、その子のために命を捨てたヨンドゥと、子どもを自分の野望の道具としてしか考えない実の父親エゴ。
⑤スター・ロードのために自分の命を犠牲にしたヨンドゥのお葬式を宇宙船内でやってる時に、スター・ロードが言うセリフ、
「デビット・ハッセルホフみたいなクールでかっこいい父親を探し求めていたけれど、それはあんただった」
「長い間、必死に探し求めてるものってすぐそばにあるのに気づかない」
⑥ロケットが、世界を憎むような人生を歩んできた自分と同類だと思っていたヨンドゥに人間的成長を教えられて、過去の自分を心から反省して涙を流すラストシーン。
⑦30過ぎてマザコンで、最大の武器は”優しさ”なんじゃないかって思える位、頼りないリーダー。
人間に改造され、異形の者にされて、世界を憎むひねくれ者のアライグマ。
殺人兵器だった女暗殺者。
純粋で脳筋バカの大男。
可愛いけれど、犬猫のように簡単にてなずけられない植物生命体の赤ちゃん。
人種も、育った背景も全く違う生物達が互いに違いすぎる事を拒否せず、足りない所を補い合い、家族として結ばれていく多様性の理想的なありかた。